姉妹都市・友好都市との国際交流

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長野市はクリアウォーター市(アメリカ合衆国フロリダ州)と昭和三十四年(一九五九)姉妹都市の提携をし、石家庄(せっかそう)(荘)市(し)(中華人民共和国河北省)とは昭和五十六年(一九八一)に友好都市の提携をした。

 クリアウォーター市との提携のきっかけは、昭和三十一年当時の倉島長野市長が、米国国務省の文化交流計画で全国の市長中ただ一人招待を受け、三ヵ月間アメリカの各都市を視察し、クリアウォーター市にも一週間滞在したことからであった。その時の大統領アイゼンハワーが提唱した姉妹都市提携に賛同した長野市が、合衆国の都市との提携を模索したが、クリアウォーター市が観光地であること、人情に深いこと、日本人の住居者が少なく日本人を珍しく思っていることなどにより、昭和三十三年四月姉妹都市提携を提案し、両市の議会が議決して、翌年提携が成立した。


写真11 姉妹都市となったクリアウォーター市の海浜

 クリアウォーター市はフロリダ半島のメキシコ湾岸にあり、タンパ空港から自動車で三〇分、人口一〇万人余の都市である。年平均気温が二四度の亜熱帯気候で、町にはヤシが茂り、冬でも海水浴ができる常夏(とこなつ)の避寒地としてにぎわい、老後の安住の地として現職引退者の移住と観光産業で発展し、フロリダ半島西海岸の核心都市となっていた。

 長野市との交流は当初、年一、二回親善使節団の交換や日本舞踊の舞踏家や華道教師を派遣し、日本文化を紹介する程度であったが、クリアウォーター市からは昭和四十六年に一八人、四十八年に二三人が来長、長野市は五十一年に助役、倉島元市長夫妻など二七人、五十三年には柳原市長など四一人を送り、両市の交流が活発化してきた。昭和五十六年に、初めてクリアウォーター市の英語教師を二人受けいれてから毎年継続してきた。英語教師は毎年八月下旬から翌年の六月末まで、市内各中学校を中心に英語の授業を通して国際交流を深めてきた。

 このクリアウォーター市からの英語教師をふくめ、総数一〇人のアメリカ人英語教師を受けいれ、アメリカ文化の紹介や英語力の強化をはかってきた。また、長野市からも毎年英語担当教師(AET)二人をクリアウォーター市に派遣して、現地の学校で授業をし、日本文化の紹介を通じて国際親善をはかり、また、勤労青年親善使節団として毎年数人派遣し交流してきた。


写真12 AETの中学校での英語授業

 長野市からの交換学生の派遣は、昭和五十五年から学生十数人を選考し派遣してきたが、希望者が減少し、平成元年(一九八九)からは中学生七~八人を派遣し、平成六年からは市立皐月(さつき)高校生数人も派遣するようになった。これら中高学生はアメリカ人家庭にホームステイをし、アメリカの学校生活・家庭生活を直接体験した。この体験はアメリカの生活や文化に直接触れるよい機会となり、アメリカ人の友達ができるなど交流が深まった。平成九年には、皐月高校とクリアクォーター高校とが学校間で姉妹校提携をした。平成三年からは、クリアウォーター市から、高校生三人と中学生一人を受けいれた。毎年六月から一ヵ月間市内の家庭でホームステイをし、日本文化の体験など国際交流をはかってきた。これらのホームステイなどの世話は、長野国際親善クラブのボランティアによっておこなわれてきた。両市の交流費用は、受けいれ・派遣とも長野市負担でおこない、約四二年間に受けいれた人数は約三一〇人、派遣した人数は約五四〇人であった。

 いっぽう、石家庄市(中華人民共和国河北省)との友好は、昭和五十三年(一九七八)の日中平和友好条約締結を契機として、両国の友好親善ムードとして高まり、また、長野市日中友好協会などの「長野市と中国都市との友好都市締結実現」をすすめる働きかけなどがあり、いっそう友好都市提携気運がもりあがった。長野市では提携都市を検討した結果、地形・気候が似かよっており、内陸都市としての農業、とくに、果樹栽培の盛んな石家庄市を選定し、友好交流を深めるため、昭和五十五年市長を団長とする友好訪中団が石家庄市を訪問し、正式に提携を申しいれた。これにたいし受託の意向が伝えられ、翌年四月十九日長野市で友好都市締結の調印式がおこなわれた。

 石家庄市は、河北省の南部太行山脈の麓に位置し、省都として、政治、経済、文化の中心地になっている。首都北京から三〇〇キロメートル、二〇世紀はじめには一〇数戸の小さな村であった石家庄市は、京漢鉄道(北京・漢口)・石太鉄道(石家庄市・太原)の開通後急速に発展し、平成五年(一九九三)に開通した高速道によって、交通の要地になっている。北京へは汽車で約四時間、高速道では約三時間で結ばれている。同年周辺都市と合併し、面積は約一万六〇〇〇平方キロメートルと約五倍に、人口は平成十二年(二〇〇〇)には九二〇万人と約三倍に増大した。紡績、医薬、機械、電子工業が盛んで、とくに紡績工業は六大紡績基地の一つとなっている。農業は小麦、綿花が栽培され、りんご、なし等の果樹栽培も盛んである。市内には名所旧跡が多く、中でも一四〇〇年の歴史をもつ広興寺は建築史上重要な建物である。

 石家庄市からの交流視察団は、都市建設、電子精密機械等工業、農業、教育、体育関係等を視察し、研修生は語学、工業、農業、医療関係などの職場で一年間研修し技術習得をした。また、平成四年ころから自費の視察団が一五団体、一一〇人余、受けいれの約二〇パーセントに達し、石家庄市民の交流への期待がうかがえる。

 長野市からは、市議会議員や市職員等で編成された友好訪中団(数人)、中学生訪中団(一二人)を中心に毎年訪問してきた。中学生訪中団(一二人)は小・中学校を訪問し友好を深めた。昭和六十三年より三回、長野市内の石家庄市からの研修生を受けいれ、企業代表者が訪中して親善を深めた。交流事業は長野県と長野市の日中友好協会の協力をえて、歓迎会を催すなど協力してすすめてきた。また、長野県日中友好協会では長野オリンピック開催時に会員の協力募金により一七五人の中国人を招待し、二泊三日のホームステイをしてオリンピックの観戦をし、オリンピックを盛りあげ、友好親善を深めた。


写真13 石家庄市での長野市中学生訪中団


写真14 友好姉妹都市歓迎市民集会

 また、県日中友好協会は河北省との友好提携一五周年を記念して、中国国内で取りくまれている希望プロジェクトの精神に賛同し、「友好希望小学校」を贈ろうと計画した。募金の結果、七〇〇万円余が集まり、そこへオリンピック国際協力募金実行委員会(長野オリンピック・ハーモニー)から一二〇〇万円の提供を受けた。それにより、河北省の貧しい農村の子どもたちのために「希望小学校」四校を建設した。そのうち石家庄市には二校が贈呈された。平成十年(一九九八)平山県(へいざんけん)でおこなわれた友好希望小学校の起工式には長野県や長野市の関係者約五〇人、地元の村民、児童等大勢が参加し、友好を深めた。平成十三年(二〇〇一)には、友好締結二〇周年記念事業として両国の代表団の交換をした。


写真15 中国河北省石家庄市

 長野市の交流事業は、相互互恵を原則として、旅費はそれぞれの市で負担し、滞在・宿舎費などは滞在先の市で提供してきた。交流事業を初めて以来の二〇年間の交流人員はそれぞれ約六四〇人であった。

 長野市の提携都市はこれまで二都市だけであったが、長野冬季オリンピック開催後は、元冬季オリンピックの開催地であったフランスのアルベールビル、シャモニー等から提携の働きかけがあり、国際化をすすめる長野市がどのように国際交流を拡大していくか課題となっている。