老人福祉と老人憩の家

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昭和三十八年(一九六三)七月に老人福祉法が制定された。この法律の目的は、老人福祉をはかるために、老人の心身の健康の保持と生活の安定に関して、必要な措置を講じようとするものであった。

 日本人の平均寿命は戦後急速にのびて、男女の平均寿命が六〇歳をこえたのが昭和二十六年であり、七〇歳をこえたのが四十九年であった。そのころから、世界の長寿国のトップグループにはいった。そこで老齢人口の割合も大きくなり、それとともに独居(一人ぐらし)老人または寝たきり老人数の増加は顕著なものとなった。そこからさまざまな老人福祉の問題が発生したのである。

 長野市が老人福祉法の制定後に実施した、老人福祉関連継続事業は表8のようであった。


表8 長野市のおもな老人福祉関連事業の推移


写真16 昭和52年9月27日に開催された老後問題大講演会のちらし

 長野市の老人福祉事業の特色の第一は、地域性に立脚した老人憩の家による高齢者の相互交流による心身の健康の増進策であり、第二は生涯教育としての老人クラブや老人大学の開設・老人福祉センターの設置であり、第三は寝たきりなどの不自由な老人へのきめこまかな施策である。

 老人憩の家は昭和四十五年度(一九七〇)松代町東条に開設された松代老人憩の家が最初であった。この施設は市内居住の六〇歳以上の老人を対象にし、その相互交流・教養の向上・レクリエーション等の場を提供し、老人の心身の健康増進のために大きな役割りをになった。入場料は初期のころは無料、のちに若干額を納入するようになったがきわめて少額であった(現在七〇円)。松代の場合、開設二年後の四十七年度の一日平均利用者数は一三二人であった(定員一〇〇人)。施設の内容は男女別の共同浴場・休憩娯楽室・事務室・トイレ等で、比較的ゆとりのある設計であった。

 長野市の老人憩の家は、昭和五十六年度までに一一ヵ所設置された(表9)。そのどれもが松代老人憩の家と基本的なスタイルは同一で、いずれも温泉(冷泉)ないしは、わかし湯の設備をもつものであった。各憩の家とも利用状況は良好で、昭和六十年度の場合の利用者数は平均して一日八〇人をこしていた。


表9 老人憩の家利用状況

 長野市では老人の生涯学習を中心にした、社会参加への積極的な取り組みをすすめている。これは老人クラブ活動などを通じて、高齢者の教養の向上・健康の増進・社会的参加活動の実施など地域社会との交流を促進して、老後の生活を豊かにするための助成事業である。昭和四十七年度から老人クラブ活動助成事業をはじめ、当初は二七六クラブにたいして五五七万余円の助成補助金の支出であったが、六十一年度は三五五クラブ、一六〇〇万余円の補助金支出となり、老人クラブの活動は飛躍的に伸長した。


表10 長野市老人クラブ数・クラブ員数の推移


写真17 長野運動公園での高齢者グラウンドゴルフ

 昭和六十年(一九八五)四月からは、老人クラブ社会奉仕活動等促進事業に補助金が交付されるようになり、三四五の実施クラブに六四二七万円の補助金が交付された。また、五十六年からは、老人がグループで趣味と実益を兼ねた事業(盆栽・農園等)をおこなう場合にも、補助金が交付された。

 五十三年度からは老人大学が開設されて、市内在住の六五歳以上の者を対象に、芸術・趣味を中心とした講座を市福祉会館・老人憩の家・公民館(篠ノ井・若穂・七二会)等の会場で実施された。六十年度に実施された講座名は、日本画・書道・俳句・郷土史・囲碁・手芸・折紙・盆栽・料理・歌唱・詩吟・俳画・木彫・趣味の園芸等の一九講座で、開設延べ回数は二八八回、修了者数は三四六人に達した。

 寝たきりや独居老人等にたいする長野市独自のきめこまかな福祉対策として、昭和四十八年度から六十年度までにおこなわれた施策の事例にはつぎのようなものがあった。四十八年から始められた移動入浴車派遣事業は、身体不自由で独居老人で入浴不能の者を対象とした。五十八年度の場合は二二一人にたいし、年間派遣回数延べ二六二七回にのぼった。四十九年度からは寝具乾燥事業(五十六年度からはふとん丸洗い乾燥事業に発展)、五十一年度からは、心身の障害等により理容院・美容院へいくことが困難な高齢者にたいし、出張により訪問理容・美容サービスが受けられるようになった。また、同年から老人憩の家の利用者には、はり・マッサージを施し、高齢者の健康増進と視覚障害者の福祉の向上をはかった。五十三年度からは、独居老人などの付きそい看護料支給事業が開始された。また、独居老人等に、家庭奉仕員派遣事業かある。長野市では六十年度には常時三七人の奉仕員がおかれ、一〇九世帯の老人宅を訪問、年間延ベ一万三九〇〇回の奉仕活動をおこなった。

 五十五年から始められた在宅老人福祉デイサービス事業は、在宅虚弱老人を車でデイサービス施設に送迎し、食事・入浴・日常動作訓練等のサービスをして、心身の機能回復をはかり、介護者の労苦の軽減を目的とするものであった。六十年度には、参加人員が三四一九人、実施日数が二〇七日で、一日平均参加者一六人余が休養・入浴・生活指導・日常動作訓練のサービスを受けた。デイサービス事業が本格化したのは、五十八年松代町東条に松代デイサービスセンターが新設されてからであった。