子ども医療・交通共済と働く婦人の家

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長野市は昭和四十六年(一九七一)八月、長野市総合基本計画をたて、「生命と生活が充実する高度福祉都市」をその中心施策とした。そのなかで、「乳幼児・児童・青少年の健全な育成」のための環境づくりの重要さが指摘されている。このとき初めて、市の福祉政策の対象のなかに、正面から乳幼児医療の問題がとりあげられた。そして、翌年四十七年九月一日以降、乳幼児等医療費特別給付金制度が実施され、それがしだいに拡充強化されていった。その推移は表18のようであった。長野市は長野県にくらべて、乳幼児医療費制度の適用年齢範囲がひろく、四十八年度において市が三歳未満にたいし、県は二歳未満、四十九年度においても市が四歳未満・県は三歳未満であった。


表18 乳幼児等医療費特別給付金制度の推移

 長野県内の交通災害の状況を死傷者の面からみると、死者数のピークは昭和四十七年(一九七二)の三三七人、傷者数のピークは平成十二年(二〇〇〇)の一万九〇四七人であった(『長野県警察本部編 交通統計』)。

 長野市域の「交通災害等共済制度」の発足初期における交通災害の発生状況は表19のようであった。昭和三十年代の後半から四十年代にかけて、急速な高度経済成長の結果、自動車台数の飛躍的な増加(県内で三十五年が六万四九一五台、四十五年が四一万四七一四台)などが原因して交通災害がふえ、交通共済の必要性が叫ばれるようになった。


表19 長野市域の交通災害の発生状況

 長野市では、大合併後の昭和四十二年(一九六七)九月の市議会において「長野市交通災害共済条例」が可決され、同年十月一日から施行した。これにより、交通事故災害を対象にした共済制度が確立した。

 昭和四十二年から四十七年までの加入状況は、累計で六五万九二一一人となり、六十一年の加入者は二六万一二七九人で、その加入率は七七・〇パーセントに達した。平成十三年四月一日現在の加入者は二三万二二六九人、加入率は六四・二パーセントである(『長野市交通災害等共済の概要』)。

 長野市の交通災害共済制度は、その対象が交通災害のみに限られていたが、四十八年四月一日の条例改正によって、交通事故以外の準管理下の学童の人身事故が、その対象にふくまれるようになった。「学童幼児災害見舞金」の新設である。学童幼児がPTA・育成会などの団体事業に参加中の事故、公園・遊園地などで体育器具または遊具を使用中の事故などにたいする見舞金の給付である。給付対象者は三歳以上、中学校在学中までのものであった。見舞金は死亡した場合が一五万円で、傷害の場合はその程度に応じて見舞金が支払われるようになった。見舞金の額はその後、四回の改正を経て、昭和五十五年以降は死亡が一三〇万円となった。傷害の場合もその程度に応じてそれぞれ増額された。準管理下における学童幼児災害見舞金の制度の確立は、交通災害共済事業の拡充策として注目された。


写真22 交通災害共済への加入をすすめる『広報ながの』

 女性労働者の福祉の増進をはかるため、長野市は昭和五十三年(一九七八)四月長野市大字三輪に「働く婦人の家」を開設した。それから約一〇年後の平成元年(一九八九)一月には長野市篠ノ井小森に「長野市南部働く婦人の家」が開設された。婦人の家は、地方自治法(昭二二・法律第六七号)や、雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保など、女子労働者の福祉の増進に関する法律(昭四七・法律第一一三号)に基づいて、長野市が五十三年三月条例を定めて開設したものである。

 長野市の婦人の家の主たる事業はつぎの五つである。

①職業に関する相談、指導、講習、実習に関すること。

②職業生活と家庭生活との調和に必要な相談、指導、講習、実習等に関すること。

③家事等の援助に関すること。

④休養およびレクリエーションについての場、および機会の提供ならびに必要な助言および指導に関すること。

⑤その他女性の福祉増進に関すること。

 なお、「働く婦人の家」を使用できる範囲は、①市内に居住する女性労働者、②市内の事業所に勤務する女性、③その他市長がとくに認めるもの、とした。そして、婦人の家が開設する成人講座および教養講座の受講者は、受講料として一講座につき一回二〇〇円を納付することになっている。

 施設の利用状況を開設当初の五十三年度と平成十二年の場合をくらべると表20のようであり、大きな変化は、全利用者数が飛躍的に増大したことである。とくに、婦人労働者の「グループ活動・団体利用」と、勤労家庭主婦等の「個別利用」が六倍以上にもふえたことがあげられる。


表20「働く婦人の家」施設利用状況(昭和53年度)(単位:人)

 発足当時、五十三年度の婦人の家主催の講習会には、編物・書道・茶道・着付け・料理・和紙人形づくり・指圧・おせち料理・会議のすすめかたの九分野があり、参加者延人員は一分野平均約五七〇人で、年間延べ回数は一分野年二四回であった。また、婦人の家が他団体と共催した講演会は「外国の女性、日本の女性」「婦人の余暇利用」「これからの生活設計と生きがい」「勤労婦人のための健康管理」など七回あり、参加延人員は三四九人であった。その他レクリエーションでは身障者、高齢者をまじえた交流会(一〇五人)があり、卓球大会には一五〇人が参加した。また、一年間の成果の発表の婦人の家作品展示会にも一五〇人が参加した。

 その後、働く婦人の家の事業および活動内容は、年々充実発展をみて、約二二年後の平成十二年度の事業実績によれば、婦人の家主催の講習会などの回数は、当初の九から六九にふえている。その内容は、多彩でユニークなものが多い。その事例には、トラベル英会話・スペイン語・手話・男性料理・野の花・パソコン・パッチワーク・郷土食・日本酒を知る・アロマテラピー(芳香療法)のようなものもあった。

 なお、講習会などへの参加延べ人員は講習会以外の主催活動をふくめて一万人をこえて十二年度は一万二八三人であった。

 そのほか、「南部働く婦人の家」には主催講習会などが四二ある。同婦人の家の参加延べ人員は講習会以外の主催活動をふくめて一万一四二五人で「働く婦人の家」(長野市三輪)の参加人員をこえている。南部働く婦人の家で特色ある講習会には、絵手紙入門・男の腕まくり料理・庭木の手入れ・フォークダンス・切り絵入門・つる手芸・朗読ボランティア養成などがある。