長野市は昭和四十九年(一九七四)、学校同和教育指導計画書を作成して同和教育をすすめ、同和地区子弟奨学金交付制度を設けて進学のたすけとした。県は四十八年同和対策課を、県教委は四十九年に同和教育課を設けて同和教育推進教員二一人の配置をおこない、主として解放子ども会の指導にあたらせた。市内では大豆島小学校に配置され、大豆島解放子ども会が設置された。同年、若穂隣保館が開館している。
四十九年二月には、市内川中島に住む高校教員が、酒に酔って長野電鉄の車中で差別語をさけび、乗客のたしなめにもやめなかったという差別事件をおこした。三月に川中島公民館で糾弾(きゅうだん)集会が開かれ、本人には幼いころから植えつけられた差別意識が根強く潜在していて、職場での不快なことと酒の酔いがきっかけに表にでてきたことがわかり、学校や社会の同和教育のありかたがさらに問われることになった。同年に県教職員組合・県高校教職員組合・県私立学校教職員組合連合は合同研究集会を開き、「人権と民族」分科会で同和教育の現状と実践の交流をはかり、小中高一貫の同和教育の推進をはかった。
四十九年に県は、「同和問題に対する県民一人ひとりの理解と認識をいっそう深め、もって部落の完全解放を期そう」として、長野市市民会館に二八〇〇人を集めて、同和対策事業特別措置法制定五周年記念県民大会を開催した。県教育委員会は、「明るい社会は部落の完全解放から」と書いた垂れ幕を県内各教育事務所・地方事務所に配り、正面壁面に提示するようにした。この年に部落解放同盟県連は、『解放新聞長野版』を発刊した。
市は、昭和五十年四月に同和教育研究協議会を発足させ、教育委員会に同和教育課を新設し、指導主事二人を配置した。同和教育推進教員が若穂中学校に配置され、矢原地区子ども会および運営委員会を五十一年一月に設置した。さらに、県同和教育推進協議会(以下、県同教推協)で編集した、県の部落史と解放へのあゆみをまとめた資料『あけぼの-人間に光あれ』(四十八年発刊)を市内中学校二年生全員に配付し、社会科を中心に同和教育の授業で使用できるようにした。四十九年十一月には県同教推協制作の同和教育教材映画「信濃の夜明け」が完成し、各地で活用された。
五十年四月須坂市内の春祭りで、二人の露天商の口論のなかで、差別発言が飛びだした。二人とも被差別部落の人ではなかった。七月にこの露天商差別事件の糾弾集会が開かれ、ここで、人びとの心のなかに潜在する差別意識が、相手をおとしめようとする時に吹きだしたことが明らかにされた。
同年八月には、第一回長野県部落解放子ども会大会が、篠ノ井西中学校で開催された。五二の解放子ども会が集まり、「解放子ども会の輪をみんなでひろげよう」のスローガンをかかげて、部落差別とたたかい部落解放をになう子ども会の交流と連帯をはかった。解放子ども会は、市町村教育委員会が設置し、活動方針は解放子ども会運営委員会で策定し、関係者と同和教育推進教員を中心に活動をすすめていくもので、内容は、①部落解放をめざす学習活動、②基礎的学力の向上をめざす学習活動、③生活意識を高め生活向上をめざす活動、④レクリエーション・スポーツ・行事活動、などである。
昭和五十一年八月には、県同教推協主催の第一回夏季信州人間大学が、山田温泉風景館で二日間、三人の講師と県内外から一〇〇余人が集まり開催された。十二月には部落解放同盟長野県連合会(以下、部解同県連)長野市協議会は対市交渉をおこない、①行政区画差別の早期解決、②部落解放都市の宣言、③解放会館の建設、④仕事保障など二一項目を、柳原市長に要求した。
同年長野市は前年の対市交渉を受けて、同和問題の早急な解決は行政の責務であり、市民全体の課題として、市民一人ひとりが同和問題を正しく理解し、自覚と実践により、明るく住みよい長野市を築くためとして、四月十日に「部落解放都市宣言」をおこなった。宣言は、つぎのように前文と三ヵ条からなっていた。
人間は、だれでも自由と平等を願い、健康で豊かな生活をもとめている。この願いが因習や偏見によって、今も差別されている人々や地域がある。この部落問題の解決こそ、市民全体の課題である。
ここに、部落の完全解放を市民の願いとし、正しい理解と実践により差別をなくし、明るい住みよい長野市を築くため「部落解放都市」の宣言をする。
1 部落解放を市民の力で実現しよう。
2 市民の正しい理解と認識のもとに、差別のない明るい社会をつくろう。
3 基本的人権を守り部落差別をなくそう。
四月十日に大豆島隣保館が若穂についで開館したので、大豆島隣保館で開館式と部落解放都市の宣言式がおこなわれた。市は四月に、同和教育指導員を二人ふやして一〇人とし、同和教育指定校(市内全小中学校指定)の発表校を各ブロック一校計七校にふやし、この研究成果を年度末に『学校同和教育研究実践報告第一集』として刊行した。市は市庁舎と各公民館に「部落解放を市民の力で実現しよう」の看板をかかげた。
五十一年には市・市教育委員会主催・部解同県連市協議会後援で、市内二六地区にある同和教育促進協議会から一七〇〇人が集まり、部落解放長野市民集会を開いた。この年には市場子ども会(五十四年から松代子ども会として再発足)が設置され、この年の十二月に差別図書『部落地名総鑑』が大問題となった。
市は、昭和五十二年四月に、同和教育課指導主事を一人ふやして三人とし、同和教育指導員を三人ふやして一三人とした。四月には浅川西条同和対策集会所が設置された。七月には、全市の中学校一、二年生に同和教育副読本『あけぼの』を配付した。九月に県社会同和指導者講習会が開かれ、「同和教育を自らの課題とするための手だて」について、公民館・PTA・婦人団体・青年団体・企業の五分科会で社会同和教育のありかたについて研究協議をおこなった。
十月には長野市企業同和教育推進協議会が発足し、従業員三〇人以上の企業二二七社が加入した。市内の企業などでは、富士通が五十年に同和対策委員会を発足させ、五十一年に信越郵政局が信越郵政同和対策協議会を発足させるなど、企業や公的機関も同和教育に取りくみ始めていた。五十三年には、県企業内同和問題研修推進員制度が発足し、従業員一〇〇人以上の事業所には推進員をおくことが必要となった。「企業内から部落差別をなくす」ことを目的に、企業主や企業内同和教育研究推進員の集中的専門研修もすすめられた。研修では、部落差別の歴史・解放運動のあゆみ・差別の実態を学び、映画鑑賞や企業内同和教育の取りくみと問題点の話しあいなどがおこなわれた。
五十二年十月、県同教推協は第一回長野県同和教育研究大会を長野市西部中学校(翌年から通明小学校会場)で開催した。「本会を構成する各団体が、部落解放の教育にかかわる現場における日ごろの実践・研究をもちより、問題点を究明するとともに同和教育のいっそうの充実推進を期する」ことを趣旨に、テーマ「部落を解放する教育を創造しよう」をかかげ、二二団体から四百余人の参加を得て、四〇のレポートを中心に一〇分科会で研究協議をおこなった。
昭和五十三年二月に長野市同和教育促進協議会連絡会を結成し、三月市教育委員会主催で第一回「同和問題を考える市民集会」を開いた。同月には綱島・町川田・川中島の三ヵ所の同和対策集会所が竣工した。四月に若穂中学校生徒会に同和委員会が設けられた。各組から一人ずつ委員がでて、教わる同和教育ではなく学びとる同和教育にしようと、生徒会として生き方を自らに問いつつ部落解放にむけての活動を始めた。十二月に市は、SBCを通して「長野市を考える家庭での同和教育」を放映した。
一〇年間の時限立法であった同和対策事業特別措置法が、五十四年(一九七九)に三年延長となった。三月に、篠ノ井・松代の両同和対策集会所が竣工し、四月に開所した。同年、松代中にも同和教育推進教員が配置された。同年に国際人権規約が国会で批准されている。七月に若里地籍に着工した長野市中央隣保館と長野県隣保会館を兼ねた建物が、翌五十五年四月に完成した。鉄筋三階建てで、一階が市中央隣保館、二・三階が県隣保会館となり、一六〇人収容可能の集会室、放送・映写施設、研修講演会場、大小会議室、和室、資料室、資料展示室、図書室、実習室、相談室などが備えられた。同年に県同教推協は『あけぼの-小学校高学年向け』を発行した。五十八年には『あけぼの-小学校低学年向け』を発行して、小中学校一貫した同和教育の充実化をはかった。
市は、五十五年四月、同和教育課に啓発係を設置して、部落解放・同和教育の広報・啓発をさらに推進することにした。四月一日には綿内同和対策集会所が設置された。同年に市は、県の方針と長野市部落解放審議会の答申を受けて、全日本同和会長野支部を協調団体として認めて対応することとなった。翌五十六年九月には、部落解放推進の会長野市協議会と全国部落解放運動連合会長野市協議会を協調団体として認めて対応することとなり、協調運動団体は部落解放同盟県連長野市協議会とともに四団体となった。同年、川中島中に同和教育推進教員が配置され川中島解放子ども会が発足した。また、この年には、完全参加と平等をテーマに真の連帯をめざして「国際障害者年県民集会」が、長野市市民会館で開かれている。
五十七年四月に大室同和対策集会所が開所し、翌年二月には金井山同和対策集会所の建設がはじめられた。五十七年九月に部落解放同盟県連県内行動隊の対市交渉があり、十月には北信子ども会大会が開かれた。十二月にはSBCが「同和問題と市民意識」のテレビ放映を、翌年にはNBSが長野市の同和教育のあゆみを「解放へのあゆみ」と題して放映した。県同教推協は五十八年までに、『母を生きる』『鶴っ嘴(ばし)の青春』『炎を受けつぐ子どもたち』『若竹よ雪をはじけ』『いのちの鈴』『親と子の朝(あした)』『いのちの輝き』『若い旅立ち』などの、学校向け・社会向け・家庭向け・企業向けなどの同和教育映画をつぎつぎと作成して、視聴覚教材を用いての同和教育の推進につとめた。