減反政策と水田の転用

629 ~ 633

長野市農業粗生産額の割合を作目別にみると、石油危機直後の昭和五十年(一九七五)には米の比率が二一・一パーセント、野菜二〇・六パーセント、果実三三・四パーセント、畜産一二・九パーセント、養蚕六・三パーセント、その他五・七パーセントであったものが、米過剰・減反政策を経て、平成十二年度(二〇〇〇)には米一五・六パーセント(二三億円)、果実五八・六パーセント、野菜一七・二パーセント、畜産二・三パーセント、養蚕ゼロ、その他六・三パーセントとなっている。ここにみられるように米と野菜がへり、果実がふえている。もっとも、五一億円規模の栽培きのこの存在も大きいが、平成十年から頭うちとなっている。

 昭和四十五年度から米生産調整と稲作転換がはじまり、米の需給の実態に即応して、四十六年産米から農家が政府へ売りわたす米の数量制限が設けられた。

 米の需給に十分な余裕をもたせつつ、転作の定着化をすすめる指導推進資料とするために、四十八年七月、市内六一六一戸の農家を対象としてアンケート調査がおこなわれた。その結果、生産調整を実施した理由としては「労働力不足であったから」(三〇・八パーセント)と「食糧管理制度を守るため」(二四・九パーセント)がきわだって高かった。このように労働力不足が要因となっていることは、市内農家の特徴をよくあらわしている。

 国の休耕奨励補助金の支給が打ちきられた四十九年度から、市の単独補助事業として休耕田有効利用促進事業がはじまった。同年度は、篠ノ井農協・長野市中央農協(施行場所古牧・芹田)・小田切農協の作業受委託(合計三五万円の事業費)にたいして、一三万円余りが補助された。翌年には長野平農協にたいし、休耕田復元のための補助がなされている。

 五十三年度からはじまった市水田利用再編対策として、水田転作の定着化と集団化をすすめるために、合計六三二ヘクタールの作付け計画がなされた。それによれば、同年度は麦二八〇ヘクタール(四四・三パーセント)、たまねぎ一二〇ヘクタール(一九・〇パーセント)、大豆一〇〇ヘクタール(一五・八パーセント)、野菜六八ヘクタール(一〇・八パーセント)、果樹四八ヘクタール(七・六パーセント)、その他などとなっていたが、実績は転作総面積六六八ヘクタールのうち、麦七三ヘクタール(一〇・九パーセント)、大豆二二四ヘクタール(三三・七パーセント)、果樹一〇一ヘクタール(一五・一パーセント)、野菜一三六ヘクタール(二〇・三パーセント)その他などとなっている。麦作は停滞気味で、六十年代まで豆類、野菜、果樹がのびている(表25)。


表25 転作実績(単位:ha)

 五十三年度に市単独の水田利用再編対策事業として遊休農用地復元のために、事業費の二分の一の補助がなされた。補助対象は一年以上休耕している一アール以上の遊休水田で、一四〇万円の事業費(一四ヘクタール分、実績〇・七七八ヘクタール)が計上された。同時に、国・県の補助事業として、りんごなど果樹園への転作を促進するため土地条件の整備(客土四・八ヘクタール)と機械(スピードスプレーヤー)を導入して集団化をはかるための経費補助がおこなわれた。


写真47 主要作物のりんご

 また、同年度に市単独事業で農用地流動化対策事業補助金四〇万六〇〇〇円が交付されて、四ヘクタールの流動化が実現した。この事業は翌年から、農業振興地域内において農用地の流動化が推しすすめられ、経営規模拡大を希望している農家が、農地を借りやすくする目的の農用地利用増進事業(農地法適用除外)に引きつがれた。

 水田利用再編対策が円滑に遂行されるために、昭和五十六年度より、つぎのような長野市単独補助事業が実施された。①同再編対策を推進するための条件整備を共同で実施するものにたいして、U字溝などの原材料を支給する(原材料支給)、②同再編対策を円滑に推進するため、市長が適当とみとめる農業団体がおこなう活動に要する事務諸費用を補助する(再編対策推進活動補助金)、③同再編対策団地化転作を互助制度などにより、共同で実施した農業者の組織する団体に補助する(採択条件は平坦地五〇アール以上、山間地三〇アール以上の団地化に対して再編対策団地化推進補助金)、④同再編対策を推進するため、客土・小規模ほ場整備等を共同で実施した農業者の組織する団体に補助する(採択条件は三〇アール以上一ヘクタール未満、客土等転作条件整備事業補助金)。


写真48 水田の野菜畑への転作

 平成二年度からスタートした水田農業確立後期対策として、転作が一段と強化されたが、年々すすむ農地の改廃により、毎年四〇ヘクタールの水田面積が減少し、土地条件の悪い山間地の荒廃田・保全管理田(休耕田)の増加により、水田作付面積も毎年減少している状況にあった。このため、米の限度数量(事前売り渡し申し込み数量)は、集荷実績(実際の売り渡し数量)にくらべて、毎年上まわってしまい、県へその分を返上する傾向が平成元年度からつづいた。同年度以降六年度まで限度数量にたいする集荷率は八〇パーセント以下六〇パーセント台に低下した(表26)。


表26 転作実績と産米売渡状況(単位:ha、千俵、%)

 市の転作対策は、平成五年度(一九九三)から水田営農活性化対策、八年度から新生産調整推進対策として継続されている。水田の高い生産力を活用して、その後、生産振興の必要な作物および主産地化促進作物などへの転作を積極的に誘導するとともに、それを契機に中核的農家への農用地利用の集積をいっそう促進しようとしている。従来の米から他作物への転換を重視した奨励措置という考えかたがかわって、構造政策をともなった助成措置とするとの考え方にたって、新たに水田農業確立助成金が交付されるようになった。

 農水省の転作補助金は、作目、面積、単価、転作制度等の政策的変更によって交付額が変動した。過去最高の市内交付金額は五十五年度の五億六八八六万円余りであったが、五十九年度からはじまった水田利用再編第三期対策で、対前年比は一挙に四割減となった。その後、六十二年度からの水田農業確立前期対策で一億円台に、平成二年度からの同確立後期対策で約九〇〇〇万円から七〇〇〇万円台に削減されたあとも年々減少され、平成十二年度には一一八一万円にまで落ちこんだ。これは補助金が構造政策面に重点配分されていったことと表裏の関係にある。

 ところで、転作も零細規模農家の多い地区では各農家ごとの対応でおこなわれたが、篠ノ井川柳地区のほ場整備がなされた地域では、五十年代から転作作目として麦が取りいれられた。その作つけは、水系を基準にして一定のまとまった面積(ブロック)で実施され、それを毎年場所をかえて輪作された(ブロックローテーション)。しかし、ここは、ほ場整備された土地柄であったが、稲作のあとは十分乾田化されなかったので、麦の作柄は思わしくなかった。大麦は一〇アール当たり一二俵とれるのが普通であったが、よくて八俵に過ぎなかった。農作業は篠ノ井農業機械組合(法人)に委託されたが、オペレーターの高齢化とともに法人は機能しなくなり、生産性の低い麦作にかわって果樹のりんご・もも・アスパラなどが植えられた。


写真49 農業の合理化のためのほ場整備

 平成十四年度(八月二十一日現在)の市内地区別転作達成率によれば、芹田一六七パーセント、吉田一七二パーセントの高い達成率にたいして、松代地区の豊栄六〇パーセント、西寺尾七五パーセント、清野五二パーセントなどはきわめて低い。一般に、農村地帯でも自家用飯米ていどを生産する零細農家の多い地区、水田の少ない地区では転作達成率が低いといわれているが、市内全体としては、一一〇パーセントの達成率を確保している。