農業協同組合の合併と現況

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戦後にスタートした農業協同組合(以下、農協)の歩みは、一般に大きく三つの時期に区分されている。その第一期は、昭和三十年代前半までの再建整備期、第二期は、三十年代後半から四十年代にかけての高度経済成長下の拡大期、第三期は、四十年代末以降低成長下の転換期である。

 その第三期にあたるこの時期は、石油危機にはじまる低成長下への転換によって、農協をめぐる環境は悪化し、事業態勢の見直しや、経営の刷新、組織問題の再検討が必至となった。農協各事業の伸び率が軒なみ鈍化するなかで、黒字部分の中心であった信用事業の純利益が、停滞ないし低下傾向をしめし、経営をめぐる情勢はしだいにきびしさをました。こうした状況に直面して、昭和五十七年(一九八二)には農協経営刷新強化策が打ちだされ、経営の合理化・効率化や事業機能の強化がはかられた。組織の面では、事業範囲の拡大や事業規制の緩和といった、いわゆる地域協同組合化(大型合併)の方向が模索された。なお、この時期平成四年(一九九二)四月からは、新しい農協のイメージを象徴する愛称として「JA〇〇」の名称を使用するようになった。

 このような状況のなか、長野市周辺の農協は、昭和六十一年(一九八六)から合併への研究に取りくみ、変動する経済社会に対処するためには、強じんな農協をつくることが必要という結論により、合併をすすめることになった。同年九月十六日、北信地区農協合併推進協議会が設立され、農協合併構想(案)がしめされた。それによると、北信地区の合併構成を六地区(更埴南部・長野南・須高・山ノ内町・飯水岳北・長水)とするものであった。

 同年十月の第三十九回県農協大会決議での「長野県二五広域JA合併構想」によると、長野市域は、信更・長野南・長水の三つの合併ケースに分けられていた。しかし、この大会前の同年九月二十二日に、北信地区農協合併推進協議会においては県農協中央会から、すでに長野市域の長野南地区六農協(信田・更府・川中島町・川中島平・松代・篠ノ井)と、それに隣接する更級郡大岡村農協それに長水地区の一〇農協(信濃町・飯綱・信州豊野町・長野平・長野市西部・裾花・信州西山・信州新町・長野市・長野市中央)にたいして合併の呼びかけがなされていた。

 そのうち、長野南地区六農協と更級郡大岡村農協の合併を提起する理由は、つぎの五点であった。

① 関係農協の大部分は、県都長野市を南北に分ける犀川南の長野市地域である。それに、かつて更級郡として人的交流の歴史も長い大岡村を加え、篠ノ井保健所、長野南警察署管内の実質的には同一の行政区画に属している。

② 金融自由化に対応するには、最低でも資金量三〇〇億円以上、五〇〇億円~一〇〇〇億円の農協を建設する必要がある。

③ 市街地地域と山間地域の農協合併により、新たな農業振興への展望を切りひらかなければならない。

④ 自然の香り豊かな農協建設をする。

⑤ 生活購買事業の効率的展開ができる。

 その後、関係農協は鋭意合併の推進につとめ、つぎのように順次目的を達成していった。

 まず、長野市の信田、更府の両農協が合併し、六十二年(一九八七)三月一日「信更」農協が発足した。また、川中島町・川中島平・松代をふくめる「長野南」が合併し発足したのは、平成元年(一九八九)三月一日であった。その「長野南」が平成六年三月一日に信更・大岡村・篠ノ井と合併し「JAグリーン長野」となる。この「JAグリーン長野」は組合員戸数一万四四一二で「JAながの」についで県内二番目の規模となり、販売品販売高は一二七億円で県内九番目であったが、貯金は一三一三億円で県内三番目であった。地域は長野市の南部で、犀川などによって形成された扇状地と大岡村を源とする聖川流域の豊かな農業地域で、りんご・桃・ぶどうといった果実、野菜・きのこなどがおもな生産物となっている。合併四年後に、川中島地区には長野冬季五輪の主会場と選手村が予定され、松代地区に長野自動車道長野インターができるなど、農と住の計画的発展が期待された。「JAグリーン長野」には、平成十年三月一日にさらに千曲川右岸の「若穂」が加わった(表27)。


表27「JAグリーン長野」合併の経過

 事業のなかで目だつものとして、「アグリ松代店」にみられる販売事業、稲里・篠ノ井・松代にセレモニーホールをもつ葬祭事業がある。「アグリ松代店」は、スーパーの進出に対抗して地域農業を守ろうとするものでにぎわいをみせている。具体的な配慮点として地元生産者直売コーナーの設置、安全性をモットーにしたA・コープマークの標示、県内産を主体にした牛、豚肉の販売などに力点を置き、イベントをおりまぜながら地域住民の期待にこたえようとしている。


写真50 アグリ松代店

 いっぽう、平成四年三月一日、長水全域では新組合が成立する第一段階として、「長野市」および「長野市中央」の二農協をのぞく、長水地区八農協(信濃町・飯綱・信州豊野町・長野平・長野市西部・裾花・信州西山・信州新町)による、第一次「JAながの」(ながの農協)が発足した(表28)。初代組合長は第一回通常総集会のあいさつで、農産物の市場解放・価格の低迷・後継者難・他企業との競争激化・金融自由化の進展など、農村農協のかかえる問題に対処し、将来に新たな展望を開く大合併と、この歴史的意義をたたえた。


表28「JAながの」合併の経過

 この平成四年の長水農協広域合併に際しては、時期尚早との判断から合併不参加となっていた、長野市農協・長野市中央農協の二つの農協も、その後研究をすすめるなかで、早期合併実現の結論に達し、平成九年九月三十日に、JAながのに合併を申しいれて、翌十年十一月一日に「新JAながの」が発足(表28)し、事務所を長野市蚕糸会館においた。この新JAながのは、一市三町六ヵ村にまたがり組合員は三万三八八四人を擁し、規模・事業量ともに県下屈指のものであった。これにより、それまで安泰をほこった銀行や証券会社が、不良債権問題等で不安定さをまし、農産物消費の伸び悩みといった経済不況の深刻さをますなか、さらに強大な農協組織の実現に組合員の期待は大きかった。


写真51 蚕糸会館がJAながの会館となる

 合併四年目を迎えたJAながのが広域農協の利点を生かして取りくんだ特色ある事業例はつぎのようである。

 第一は、「元気みなぎる新世紀の農業への挑戦」として、長沼フレッシュフルーツパーク構想に基づくJAながの直営の「アグリながぬま」(長沼農産物直売所)が、平成十三年十一月八日オープンしたことである。これはJA内の各種農産物を多元集荷し、「顔の見える販売」・「三〇パーセントの地元販売」をモットーに多元販売を実施しようとするもので、内外の注目を集めている。平成十三年度の直売事業高も、前年比二〇〇・三パーセントとなり好成績であった。

 第二は、「高品質」「安全」「安心」を基本とした、農業振興への取りくみである。JAながのは平成十三年八月十一日、全国で初めて唯一のISO(国際標準化機構)一四〇〇一(環境マネジメントシステム)の認証を取得した。これは生産、サービス、経営部門で、環境対応の立案、運用、点検、見直しなどの環境管理・監査システムの整備に関する認証で、これによりJAながのは認証取得企業として登録され、環境にやさしい農業への転換をはかるうえで意義深いものであった。それに関連して、実証団を設置して環境にやさしい栽培技術の開発をおこない、その栽培指針を策定したり、環境にやさしい農作物の生産の普及につとめた。

 第三は、大型合併を迎えたJAの事業運営改善の要(かなめ)として「事業本部制」が採用されたことである。合併以前の売り場が完結している「フルバンクシステム」から、縦割り機能を強化した「事業本部制」の採用により、迅速な対応と専門性の発揮、部門間・支所・センター間などの連携強化をはかり、自己責任経営を確立しようと努力したことである。地域住民のなかには多少のとまどいもみられたが、鋭意その推進がはかられている。

 第四は、善光寺の門前、大門町にJAながの直営の「門前農館」を開店したことである。これは、「JAながのふれあい郷土」という位置づけのもとに、JAながの管内の生産者による農産物直売所および、JA女性部員による地元農産物をつかった郷土料理の提供を営業の主軸にし、組合員や長野市民、善光寺参詣客などが気軽に利用できる門前の縁側的役割をになう施設で、これには長野市の助成もあり、門前町活性化の一翼をになうものとして注目されている。


写真52 大門町角の門前農館

 第五は、合併前に期待された改善点としての、大型店舗を軸にした安全・安心・利便を実現するための生活購買事業の推進策である。その内容は、全農との共同経営による「長野平中央店」「柳原店」「しんまち店」などのAコープレギュラー店舗事業である。

 その他各分野にわたって広域大規模農協の利点を生かし、〝いのちを育(はぐく)む農業を基本に魅力的・個性的な共同活動〟の理念のもとに、合併によるデメリットを克服しつつ多面的な事業が展開されている。

 この四ヵ年間の主要な経営指標の動きは表29のようである。経常収益の全体では、合併第一年目の平成十一年度以降の三年間はきわだった変化はなく二八〇億円を上下している。信用事業、共済事業とともにそれぞれ安定した動きをしめしているが、購買、販売の両事業ともにやや下降ぎみである。とくに、JAの根幹である販売事業については、国際化・規制緩和の潮流や、景気の低迷による個人消費の冷えこみなどがその背景にあり、その打開策が問われるところである。


表29 平成10年代の主要な経営指標(単位:千円、人、%)

 また、銀行などの当期利益に相当する当期剰余金は、十三年度三億二八〇六万一〇〇〇円と計画を一億二五七六万一〇〇〇円上まわり、計画比一六二・一パーセントを確保した。自己資本比率も一六・八パーセントと前年比〇・九パーセントの充実を達成し、健全性・信頼性の確保に向けた経営に取りくんでいる。

 なお、農協が共催している「信州ふるさと自慢大集合」は県内市町村の特産品を一堂に展示・即売をおこない、地域特産品の販売拡張と信州産業のパワーアップをはかり、あわせて郷土芸能などの披露を通し、人と人とのふれあいをはかり県民相互の交流をはかることを目的にした行事である。

 主催は、長野県農協連合会、市町村関係団体、NHK、信毎など二六団体で構成し、会長に長野市長をあてている。開催の経緯は昭和六十一年(一九八六)からはじまり、平成十四年で第一四回目である。事務局は長野市の商工課におかれている。会場は当初から城山公園一帯であったが、オリンピック施設後利用とマイカー対策を理由として平成十年(一九九八)から若里のビッグハットに移した。

 行事の内容は、市町村・企業・団体による県内特産、名産品の展示・実演・即売を主とし、さらにステージイベンドとして、郷土芸能、農業士協会ビンゴゲームが実施されている。そのほか、併催行事として「信州きのこ祭り」「ふるさと食にっぽんの食」「信州ふるさとの歌の風景展」などがおこなわれてきた。来場者は十三年度の場合、九万余人であった。