さわやか日替わり通勤運動

661 ~ 664

市交通対策課の通勤時の実態調査結果によると、午前七時から九時までに国道一八・一九号など一〇路線から市中心へ乗りいれた車の台数は五十三年が一万七七〇〇余台、五十四年が一万九四二七台と一年間で二〇〇〇台余りが増加した。五十三年の場合一万五〇〇〇台がマイカーで、その七九パーセントが一人乗りという結果であり、このことは一人乗りマイカーが、ラッシュの元凶になっていることを如実に示す結果となった。市では時差出勤や一人乗りマイカー自粛のPRに力を入れてきているが、一人乗りの車が逆にふえるなど、市の対策は、まったく掛け声だおれに終わった格好となった。そうしたなかで長野市交通対策委員会は五十四年に「マイカー自粛を中心に交通量抑制の市民運動の実施が急務」との結論をまとめ、市に提言した。これを受けて、市では五十七年四月から「さわやか日替(が)わり通勤市民運動」を展開することとし、「さわやか日替わり通勤市民運動実行委員会」の設立総会を開いた。総会には長野商工会議所など二三経営団体、長野地区評など四労働団体、市区長会など一〇市民団体が参加した。総会では、①一週間に一日はマイカー以外で通勤しよう、②マイカー通勤は午前七時半から八時半までのピーク時はさけよう、③職場や地域マイカー通勤自粛を呼びかけよう、という市民運動実行宣言をした。


写真63 さわやか時差出勤運動のPR車

 市交通対策課の計画によると、運動の当面の目標は「市街地へ流入するマイカーの二割減」、市内にある従業員三〇人以上の事業所約七五〇ヵ所に「一週間のうちどの曜日にマイカー抑制や時差出勤の運動ができるか」のアンケート調査を実施し、一週間にわたり平均して車の交通量が減るように調整をおこなった。また、①時差出勤、②近距離(五キロメートル以内)でのマイカー自粛、③マイカーからバス、電車などへの転換を具体的に示した「市民運動展開の背景と思考」というPRチラシを配布した。五〇二事業所が回答をよせ、そのうち、四二四事業所が運動に参加する意向を示した。市民運動が始まった七月、市は『広報ながの』で「さわやか日替わり通勤の市民運動 スタートして三ヵ月=運動の成果着実に」を特集した。そのなかで二〇〇〇台の交通量減、一四本のバス路線のうち時間短縮となったのは一〇路線、バスの乗客の増加など「市民運動が着実に根づき、大きく展開しつつある」と評価した。自転車通勤に切りかえた男性は「渋滞する車にイライラしていたが、いまはその車を横目に早朝の風を切っての通勤はそう快そのもの」との声をよせた(『信毎』)。また、冬は全市的に「闊歩(かっぽ)通勤」を展開した。

 二年目は、市民運動の定着化と慣習化をいっそう促進するため、五月と十月に強調月間を設けた。この時はバスの利便性アップと利用促進が大きな課題であった。実行委員会では従業員への通勤手当支給など、どこまで企業の協力が得られるか、またバス会社のサービスのありかたなどが熱っぽく論議されたという。市は、バス回数券の割りびきや循環バスの実施などをバス会社に働きかけた。いっぽう、交通対策委員会はバス専用レーンの増設を検討した。五十九年現在、バス専用レーンは国道一八号や長野大通りなど四路線・五区間で延べ二・九キロメートル、バス優先レーンは国道一一七号など四路線・七区間で延ベ一一キロメートルにおよんでいた。この年荒木交差点から九反交差点までの四〇〇メートルが「中央線変移方式」によるバス優先レーンとなった。

 三年目はマイカーの減少は頭打ちとなったが、南部方面からの流入が減少し、バスもスピードアップされるなど着実な成果をあげた。市内一二五八事業所のうち七〇パーセントがこの運動に参加し、「効果てきめん車抑制」とマスコミは報じている。四年目は春秋の強調月間中に「善光寺平の円滑な交通環境づくりを考える」シンポジウムを開いた。また、渋滞解消の期待をになって信越線安茂里駅が開業した。五年目はさらにバスの利便性と利用を促進するため、七二会・松代町豊栄・篠ノ井信里の三地区を推進モデル地区に指定し、バスモニター制度も導入した。市では「マイカーで家を出たものの市街地の手前でラッシュのため一寸ずり。イライラがつのったころに無理な割りこみをされて血圧も急上昇。ゆずり合いの心も忘れて目のつり上がったまま出勤」「マイカーの皆さん、バス・電車通勤に、自転車・バイク・闊歩(大いに歩こう)通勤にかえて」と広報を通じて積極的に訴えた。「バス通勤、ふれあい社会の道しるべ」のバス利用促進のために標語ができたのは六年目のことである。標語はバスにはられるなどしたが、バス利用は伸びなやみ、マイカー通勤が増加に転じた。そのため市では前年にもまして「通勤は快調・快適・スピードアップしたバスを利用して」「できれば毎日、少なくとも週一日はマイカーやめてバス・電車に」とよさを強くアピールした。七年目からは従来の方向が微妙に変化する。マイカー通勤者にたいして「少し早目のさわやか満喫」「さわやか通勤は七時二〇分通勤 イライラ通勤解消」と早めの通勤を提案した。


写真64 新田町交差点の呼びかけ横看板

 一〇周年を迎えた平成三年には、朝七時から九時の二時間に市街地に流入する総交通量は、運動開始前の昭和五十六年の二万四五二三台にたいし、平成三年は二万八二二四台で、三七〇一台の増加、増加率一五・一パーセントとなった。これにたいしてマイカーの増加台数は六六〇台、増加率三・七パーセントで、総交通量の増加より低くなっていた。また、マイカーの推定交通量よりも、約七〇〇〇台も少ない流入交通量であった。さらに、平成六年には市民一人ひとりが通勤方法を工夫しやすいように、「バス・電車ふれあい通勤」「自転車・バイクで小まわり通勤」「徒歩で健脚運動」「仲間といっしょに同乗通勤」「ちょっとの余裕で時差通勤」の五つを提案するなど、新たな運動の展開となっていた。この市民運動は全国で初めての試みであったが、岡山市や広島市にも広がり、全国的にも注目された。