昭和六十年代末から平成年代にかけて長野市の財政は、かつて経験したことのない急激な拡大をみることになった。これらの要因には、昭和五十年ころから始まった経済の低迷がいまだ尾をひいていたこの時期に、長野市に招致した冬季オリンピック・パラリンピックの開催が大きくかかわっていた。昭和六十年十一月就任した塚田市長は、以後、四期一六年間にわたりこの時期の市政をになった。
長野市の昭和六十一年(一九八六)度から平成十四年(二〇〇二)度までの一般会計と特別会計・企業会計の各年度における歳入予算の推移は図1のようである。これによれば、一般会計予算は昭和末年から平成初年までの三年間は約一〇〇億円強の上昇であったが、とくに、平成四年度からは急激な上昇となり、平成六年度までの二年間には六〇〇億円余の増加をきたし、そのピークの予算額は約一六〇〇億円に達している。この年を境に平成七年度以降は下降を示し、十一年度からは一二〇〇億円余の横ばい状況となるが、平成四年度の一〇〇〇億円以下にはもどっていない。
しかし、この下降から横ばい状況も特別会計・企業会計とあわせてみれば、これは逆に平成七年度以降も全体的に上昇を示し、平成十二年度以降は一〇〇〇億円をこし、十四年度まで上昇をつづけているので、歳出額を合算でみれば全体的には下降状況とはなっていない。このようなとびぬけた財政の拡大は、やはり主として冬季オリンピックの招致にかかわるものであった。
実際のオリンピック開催は平成九年度であるが、その招致が始まったのが、昭和の末年であり、実際に決定したのは平成三年であった。開催までに要する期間はきわめて短く、新幹線や高速自動車道、また、各種競技会場の諸施設や関連道路、都市整備などの施工が、すべてこの時期に集中して歳入予算は拡大した。
この拡大予算の財源を区分別の率でしめしたのが表1である。これによれば、平成四年度まで五〇パーセント以上であった市税が平成六年度から八年度までは大きく下がって三〇パーセント台になり、九年度以降も四〇パーセント台にとどまっている。
そのいっぽうで、市債は六年度から八年度までは、それまでの一桁台から二絎台となり、十年度から再び一桁台にもどっている。ただし、六年度以降には、それまでなかった繰入金、財産収入、譲与税・交付金、使用料・手数料などの項目が加えられて、市税の率の低さをおぎなっている。
いっぽう、項目別歳出率の推移を示したのが、表2である。これによれば、平成四年度以降同十年度までの最多の率をしめるのは、やはり土木費である。しかも、その率は三〇パーセント弱と大きなウエイトをしめている。
これとは逆に、民生費と教育費は低い率を示し、とくに教育費にいたっては、平成十年以降は一〇パーセント以下となり、史上最低の率となっている。
市債残高(市の負債額合計)の平成五年度から同十四年度までの推移を示したのが図2である。これによれば、市債残高は平成五年度には、すでに一〇〇〇億円をこして、平成九年度にピークを示し一九二一億円に達している。その後は漸次減少傾向を示している。このうち、平成十四年度の元利償還見込み額は二一三億円であるが、これは、表2「平成十四年度歳出推移」の公債費(一七・四パーセント)に相当するものである。
このような大型で、しかもいわゆる高額赤字財政にたいし、市民のなかには「空前の財政危機」(『信毎』)との懸念や批判の声も聞かれたが、塚田市長は「市債残高の約半分は元利償還に国・県の財源措置がある。通常の予算規模に戻すなかで、健全財政を維持しながら必要な事業は積極的にすすめる」と説明し市政を推進した。
これらの大型化する行財政のなかにあって、市長はそれぞれの時期に応じて行政機構の改革をおこないながら市政の推進にあたった。おもなものをあげればつぎのようである。
昭和六十一年四月、①総務部に「政策審議室」・「防災対策室」を、②福祉部労政課に「婦人室」(平成四年に「女性室」に変更)を、③都市開発部都市開発課に「都市デザイン室」を、④総務部秘書課に「調査障害係」を、⑤建設部河川課に浅川ダム建設促進のため「ダム対策係」を、それぞれ設置。
平成四年四月、①総務部庶務課に「国際室」を、②企画調整部企画課に「市誌編さん室」を、③商工部商工課に「文化コンベンション施設建設係」を、④消防局に「通信指令課」を、それぞれ設置。
平成五年四月、①都市開発部に「市街地整備局」を、②企画課に「新都市対策室」を、③建設部建築課に「オリンピック村建設室」を、それぞれ設置。
平成十二年四月、①都市開発部に「まちづくり推進課」を設置、②同部「市街地整備局」が「駅周辺整備局」に、③生活部女性室が「男女共同参画室」にそれぞれ変更された。
塚田市長が引退し、平成十三年(二〇〇一)十一月鷲澤市長が就任した。市長は十四年度を迎えるにあたり施政方針として、「現第三次長野市総合計画の基本方針を尊重して市政を推進すると共に、この計画と行政改革大綱を見なおし、新たな計画・大綱を策定するなかで、今後の新しい流れをつくり、この視点から改革をすすめていきたい」とし、「未来のために「長野改革」をすすめ、新しい「長野市モデル」を創造し「元気なまち」にむかって公約実現の一歩にしたい」として、つぎの五項目を示した(『広報ながの』)。
① 行政改革の推進=市政運営のあり方を抜本的に見なおし、「民間の発想を行政にとりいれ、市民みんなでまちづくり」を基本とした改革の実行が必要である。
② 公報公聴制度の見なおしと充実=市民と行政が情報を共有していくことが重要であり、市民の意見・要望が反映される公報公聴制度を充実していく。
③ 市民参加と情報公開の推進=市が管理する情報は「市民との共有財産」という認識のもと「情報公開条例」をスタートさせ、透明性の向上をはかり、公正で開かれた市政を推進する。
④ 広域行政の推進=長野広域連合については、今後も圏域一八市町村の一体的な発展のため、効率的で住民サービスにつながる事業をすすめ、政令指定都市への移行を視野に入れて検討していく。
⑤ 電子市役所の推進=より質の高い行政サービスの提供や行政運営の効率化を推進するため、「高度情報化基本計画」に基づき計画的にシステムの開発をすすめていく。
こうして、十四年度からの市政の推進は、財政の健全化をすすめながらも、国際化や高度情報化社会・介護保険・長野広域連合など新たな課題をかかえてのスタートとなった。