都市景観の保全や緑化については、国土交通省の都市・地域整備局まちづくり推進課が、従来から公園事業や街路事業を中心に推進していた。しかし、都市の膨張にともなう変貌(へんぼう)がすすむ状況から、昭和五十八年(一九八三)創設の「都市景観モデル事業」により、とくに、景観形成や緑化の総合的推進をはかる観点から、全国の都市のなかから、景観形成の基本計画に基づき、各種事業の複合的実施や各種規制誘導方策などを総合的に講ずる必要のある都市を対象として、「都市景観形成モデル都市」として指定し、所管事業などを積極的に推進することにした。
この国の動きと、長野市が翌昭和五十九年から始めた冬季オリンピックの招致運動とが関連して、長野市の都市景観や緑化の推進は、いっそう強力にすすめられることになった。
長野市は、六十一年度から都市計画課内に「都市デザイン室」を設置して、都市景観や緑化問題の企画推進をはかった。そして、同年度内の六十二年二月十三日には、都市景観懇話会(座長夏目幸一郎長野商工会議所会頭)を発足させた。メンバーは信大教授、建築家、国・県の関係機関の代表など一五人で構成され、うち七人で部会を設け月一回のペースで会合を重ね、市の素案審議や提言をするものであった。市は、景観づくりを重点的にすすめる地区などをあげた都市景観形成基本計画の素案をつくり懇話会に示した。この素案での景観づくりの柱は、大要つぎのようなものであった。
① 豊かな緑(中心市街地、長野大通りなどの幹線道路、地滑り現場の緑化が求められている地附山)
② 魅力ある水景観(千曲川、犀川、裾花川と大座法師池、猫又池などの飯綱高原)
③ 歴史と文化の表現(善光寺周辺、松代町など)
④ 美しい眺望(大峰山、旭山、皆神山など)
⑤ にぎわいの空間
⑥ 落ち着いた住環境
懇話会は、この素案をもとに審議するとともに、景観づくりに一役買った建築物におくる都市景観賞(仮称)の選考などもする意向を示した。また、六十二年度から新設の、都市デザイン基金について、塚田市長は「一億円を目標に三年計画で毎年三千万円ずつ積みたて、残る一千万円は民間の協力を得たい」とした。このため、基金の利子により運営する都市景観賞の実現は、六十三年以降になる見とおしであった。
いっぽう国は、先の「都市景観形成モデル都市」として、六十三年(一九八八)五月ほぼ各県一都市ずつ、長野県松本市をふくめ二〇の都市を指定し、つづいて翌平成元年(一九八九)五月には、長野市をふくめ一四都市を指定した(この制度は、以上二回にわたる計三四都市の指定で終了した)。この国によるモデル都市指定の動きや、冬季オリンピック招致運動の高まりに関連して、長野市の都市景観の保全と形成は、いっそう急を要する問題となっていた。
六十三年二月には、市の都市景観形成基本計画の策定により、都市景観賞の創設が決まった。これを受けて、市は第一回(昭和六十三年)都市景観賞五点を選定し、その理由をつぎのように示した。
① 長野市緑と花いっぱいの会(団体)
・この団体は、緑化推進運動、花苗の植栽・管理、ポケットパーク設置の提言など、市街地の緑の景観向上のための活動がきわめて活発である。
② ごんどう広場(権堂町)
・約一五〇〇平方メートルのこの広場は、大規模物販店出店の際、隣接する秋葉神社との協力のもと、快適な外部空間の提供を目的に生みだされたものである。地域住民、買い物客、一般市民に広く親しまれ、イベントなど多彩な利用がみられる。
③ 五明館修景事業(大門町)
・伝統ある旅館建築の機能を改修により更新し、郵便局、レストランへの転換をはかるとともに、門前町にふさわしい昔ながらのたたずまいを残して、生きいきと再生させた。単独の修景事業としては、大規模かつ先駆的であり、これからの街なみ保存の在りかたに模範となるものである。
④ 長野放送本社(岡田町)
・外観はモダンでありながら、落ち着いたたたずまいをみせている。道路に近いホール棟は、低く背景の山なみがみえるように配慮され、歩行者への圧迫感をあたえることもない。広くてゆとりのある前庭は、彫刻などが配されて芸術性の漂う空間になって、緑の多い爽(さわ)やかな印象をあたえ、奥ゆきの深さを感じさせる。
⑤ 秋葉横丁(権堂町)
・この通りには、商店会、住民、専門家等が一緒になって係わりあいをもち、まちづくり、人を引きつける魅力(みりょく)あるまち、ということについて、真剣に考えた成果がよく現れている。この成果は、これからこの通りに面して、看板、照明、塀、建物の造りかたに、よい影響をあたえ、他の通りへの波及効果をおよぼし、一つの起爆剤をつくったといえる。
このあと、第二回の平成元年から同九年までは毎年五点ずつが選定されたが、同十年は四点が、同十一年から同十四年は景観賞三点と景観奨励賞一点が選定されている。奨励賞は、原型が比較的にはやく変わると予想されるものとされた。なお、平成四年(一九九二)六月三十日には、新たに「長野市の景観を守り育てる条例」(略称、景観条例)が制定され、この年度(第五回)からは、名称が都市景観賞から単に景観賞に変更されている。
都市景観の保全形成への関心は、しだいに市民の間にも広がりがみられた。平成四年三月長野市中央通り一〇商店街一一区などの代表約五〇人は、「中央通り沿いの景観研究会」を発足させた。中央通りを「善光寺の表参道」と明確に位置づけ、統一感のある景観づくり街づくりをすすめるとし、建築物、看板、街灯などのデザインや色、歩道の色、植樹のあり方などを研究して「どんなイメージの表参道にするか」の方向づけをし、今後は景観協定の締結も考えたいとした。また、会長(南石堂町商店街振興組合理事長)は、「国内外から多くの人を迎える長野冬季五輪までに、自慢できる表参道にしたい」とした。ここでいう「景観協定」のほか「重点地区指定」は、いずれも景観条例の規定によるものである。
平成九年(一九九七)十二月、善光寺門前の大門町南区は、中央通り約一六〇メートル区間を対象に、自動販売機の自粛やショーウィンドーのミニ博物館コーナー設置など、全一〇ヵ条を盛りこんだ住民の景観協定を結んだ。県景観室によれば、平成五年以来、すでに三〇市町村で計六五件の景観協定が認定されており、この年大門町南区をふくめ、さらに一一件が認定された。
松代町の商工会議所では、市の景観賞とは別に、平成十年度に町の景観賞を創設した。それにより、第三回目となる平成十二年七月、城下町らしさを生かした町づくりをすすめるため、城下町松代の「町なみ景観賞」への応募を町民に呼びかけている。同会議所は、これまで年に九件ずつ景観賞を選んだ。また、同年松代町木町の商店主と住民は、国道四〇三号の拡幅工事に合わせて独自の景観協定を結び店舗の建設などに生かしている(『信毎』)。
いっぽう、緑化の推進は、戦前から市内の公園整備や大通りの街路樹整備などに見られるが、戦後の本格的な緑化推進は、昭和四十年度から始められた「長野市を緑でつつもう」のスローガンのもとに、市が約一二億五〇〇〇万円を投じて推進した緑化事業からである。約七五万四〇〇〇本におよぶ緑化木の配布植栽を市民総ぐるみの運動として展開したもので、一般市民の緑への需要と愛育や保存思想が高まり、家庭緑化は飛躍的に増大した。しかし反面、緑地のないアパート、貸家などの増大、屋外駐車場の増設、巨大ビルの増大などにともない、市街地の緑のオープンスペースが姿を消しつつあることも現実であった。このため、昭和六十年(一九八五)には「財団法人長野市都市緑化基金」を設立し、民間の協力と市の出資による基本財産の運用益により、民有地の緑化を主体とした市街地の緑化を永続的に推進できるようにした。このおもな具体的推進は、つぎのようである。
① 結婚および住宅新築記念樹の贈呈(結婚は昭和四十一年四月~、新築は四十九年四月~)
② 入学記念樹の贈呈(昭和四十六年四月~)
③ 公共地等の緑化
④ 保存樹木等の指定事業(昭和四十八年四月~)
⑤ 花鉢植栽事業(昭和四十六年四月~)
⑥ 生け垣奨励補助事業(昭和五十三年四月~)
⑦ 長野市緑化まつり(昭和五十八年十月~)
⑧ 地区計画地域内の緑化事業補助金(平成三年~)
⑨ 事業所等緑化補助金(平成七年四月~)
⑩ 緑地協定制度(平成四年七月~)
長野市は、平成六年九月「長野市緑を豊かにする条例」を制定(同十三年六月改正)した。これは「緑豊かなまちづくりをおこない、市民が健康で潤(うるお)いのある日常生活を営むことができる生活環境の整備」を目的にしたものであった。市はこの条例に基づき十三年に「基本計画」を作成し、一五人の委員を委嘱した。委員会(会長和田清元信大教育学部教授)では、緑化重点地区には松代地区と善光寺周辺を設定し、当初は松代地区を対象に審議をかさね、大筋をまとめた。これには、城下町の歴史景観を生かした緑化計画の目標と方針・基本施策などを盛りこみ、「緑と水の庭園都市松代」として、町づくりと一体で緑化に取りくむというものであった。計画区域は、長野電鉄松代駅周辺の中心市街地をふくむ約二六〇ヘクタールにおよぶものであった。
基本方針には、①城下町の歴史とともにある緑と森の継承、②質の高い緑豊かな空間の創造、など四項目をかかげ、各項目ごとに目標と二四の具体的な施策を設定し、③現行の取りくみを充実させるもののほか、④武家屋敷庭園の管理支援、⑤緑化ガイドによる手法の紹介と普及、⑥緑の顕彰制度の創設など、今後検討する新たな施策も盛りこまれていた。この案は同年十一月中に市長に答申され、以後実施されることが市民に期待されている。