市民病院の設立と松寿荘の再建

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昭和五十一年(一九七六)十一月六日、長野市制八〇周年記念事業の選定にあたって、市民病院の建設が市民の要望の第一位にランクされた。そこで、同年十二月十三日の第三回市制八〇周年記念行事推進委員会(昭和五十一年七月三十一日要綱制定)において、市制八〇周年記念事業の一つとして、市民総合病院を建設することが決定された。

 以後、約二〇年の年月を経て「長野市民病院」が平成七年(一九九五)六月一日開院された。古里地区富竹の田園地帯に建てられた市民病院は、敷地面積約四〇万平方メートル・延べ床面積二〇万平方メートルの鉄筋コンクリート五階建て、工費は約二一三億円であった。外装は薄いピンクと薄紫で、内装も待合スペースでは淡い色調の壁やじゅうたんに間接照明を使い、ホテルの通路を思わせるもので、およそ従来の病院のふんいきを脱却するものであった。


写真14 平成7年富竹地区に建設された市民病院

 長野市民病院の特色の第一は、県内初の公設民営方式を採用して、最新鋭の医療機器を備え、当面六科(内科、外科、整形外科、放射線科、麻酔科、歯科口腔外科)一五〇床でスタートしたことである。病院の設置費二一三億円は市が負担したが、経営は財団法人長野市保健医療公社が担当することになった。医師会なども加わった第三セクターによる病院経営は全国的にも珍しく、自治体病院の多くが赤字に苦しむなかで、清掃、給食はじめ薬品・材料などの物流システムも外部に委託し、経営効率を高めようとした。

 第二の特色は、三大成人病(がん、心臓病、脳卒中)と高齢者医療の充実のために、「患者にやさしい病院」を目ざして思いきったシステム化をはかったことである。その具体策として「三時間待って三分間診療」という総合病院の汚名を返上するよう、医者の指示がコンピューターで瞬時に検査室や薬局・会計におくられ、連続処理できる「オーダリング(医療情報)システム」を導入した。さらに、再来患者の予約制や、外来患者の近くの薬局にファックスで処方せんをおくり、帰宅途中で調剤した薬が手にはいる「院外処方」も取りいれた。

 第三の特色は、市民病院と他の開業医との共存がはかられたことである。開設までに時間がかかったのは、開業医(診療所)との調整が難航したためでもあった。共存を目ざす過程で生まれた「病診連携」は、市民病院の大きな特徴であった。開業医からの患者紹介に加え、市民病院で治療を終えて退院した患者の療後診察や往診を、市医師会を通じて開業医に逆紹介する方式も考案された。

 市民病院は、開院後円滑な経営をすすめ、施設設備を改善し診療内容を充実させ、平成八年十一月には付属機能をもつ「長野市民病院訪問看護ステーション」を開設した。一般病床数は、開院時の一五〇床から平成九年四月には三〇〇床に増加した。市民病院の発展のようすを科別入院・外来患者数のうえからみると表4のようであった。


表4 市民病院の入院・外来患者数 (平成11年)

 養護老人ホーム・特別養護老人ホームである松寿荘は、昭和六十年(一九八五)七月二十六日の地附山中腹部の崩落により旧松寿荘が壊滅的な大被害を受けたあと、六十一年十月に長野市上野二丁目一二〇番地に新構想のもとに再建された。その規模は、定員が養護老人ホーム一〇〇人、特別養護老人ホーム七〇人、特養短期四人で、敷地面積約一万八九二二平方メートル、建物面積約四九九二平方メートルで、事業費は計約一一億四四八一万二〇〇〇円であった。建物は鉄筋平屋建で養護老人ホームが三棟、特別養護老人ホームが二棟、別棟が一棟であった。災害時の安全避難を考慮して鉄筋建築の平屋建とし、段差の全面的解消や、各部屋から直接退避できるよう工夫されていた。主要設備として特殊浴室、機能回復訓練室、大集会室があり、各棟には各種防災設備が設けられた。

 新設の松寿荘は、長野市ほか二市八町七ヵ村で組織する長野広域連合によって設置され、長野市の北部、若槻上野地籍の高台に位置し、国立東長野病院、清泉短期大学、都市公園などの公共施設にかこまれ、住環境には最適の地といわれている。特別養護老人ホームは、おおむね六五歳以上の老人で、心身の障害のために常時介護を必要とし居宅においてこれを受けることが困難なものが対象とされる。


図4 松寿荘の位置略図

 最近自立生活が著しく低下した利用者が増加してきたため、五年計画の最終年度である平成十一年度は、居室二室を和室から洋室への改修と居室への給湯設備改修工事を実施した。防災面では、防火扉二ヵ所の改修と火災受信機のバッテリー交換をおこなった。

 養護老人ホームは身体状況の低下にともない、利用者の状態に即した援助をおこなう。入所者の意見と要望を取りいれて、夕食時間を午後六時へ変更、自分で好みの食物を選択するバイキング方式のお好み食堂の実施、春・秋の一泊旅行、買い物・外食も楽しめる名所巡りなどの外出の機会を設けるなどした。また、近隣地域の住民との協力のもとに盆踊り、花火大会、敬老祝賀会、夜間防災訓練など各種行事を実施している。ボランティアの協力を得て、俳句、詩吟など一四のクラブ活動が組織され、その成果を県老人福祉施設事業連盟北信ブロック作品展へ出品している。なお、各種作品は松寿荘の廊下にも常に展示されている。

 松寿荘の特別養護老人ホームは、利用者が安心して生活が送れることを目標に、玄関棟のスロープの拡幅改修をおこない、車椅子での出入りを容易にできるように整備し、防災面では東北側の避難路のスロープ化工事と西側避難路の舗装工事をおこない、車椅子での避難および誘導が容易にできるよう整備した。

 機能回復訓練・作業リハビリ・音楽療法・音楽リハビリを取りいれ自立助長の促進につとめている。入所者が安心して生きがいのある生活を送れるように、近隣住民の協力のもとに盆踊り、花火大会なども実施している。また「何でもやろう」などのクラブ活動によって、入所者一人ひとりの残存能力の向上にもつとめている。

 昭和六十三年一月二十九日に松寿荘に併設された「長野市若槻デイサービスセンター」は、在宅の虚弱老人にたいし、同センターへの通所と居宅訪問によって各種のサービスを提供することにより、老人の自立的生活の助長・社会的孤立感の解消・心身機能の維持向上などをはかっている。


写真15 若槻上野に移転した松寿荘