高齢化の進行が全国的に著しくすすむなか、長野市の高齢化率も全国を上まわる速さですすんでいる。そのようななかで、とくにひとり暮らしの高齢者とともに、寝たきりや痴呆症(ちほうしょう)など介護を必要とする高齢者が増加している。さらに介護する期間の長期化や要介護状態の重度化および家族形態の変化などにより、家族による介護では十分な対応が困難となり、昭和六十年代から平成年代にかけては、高齢者福祉と介護福祉は大きな社会的問題となってきた。
このため、国(厚生省)では、平成二年(一九九〇)「高齢者保健福祉一〇ヵ年戦略」(ゴールドプラン)により事業をすすめたが、同六年には早くもこれを見なおし、さらに、充実した「新高齢者福祉推進一〇ヵ年計画」(新ゴールドプラン)を策定した。そしてこのプランが終わる同十二年には、新たに始まる介護保険制度の発足と在宅型介護サービスに重点をおく五ヵ年計画の「高齢者保健福祉計画」(ゴールドプラン21)を策定した。
長野市では、すでに昭和五十二年(一九七七)十月九日「福祉都市宣言」をだし、昭和六十一年には「第二次長野市総合基本計画」を策定して、高齢者福祉をすすめていた。ところが、国からゴールドプランがでたことにより、その方針にあわせて平成元年(一九八九)六月「第二次長野市総合基本計画」の基本指標を補正した。さらに、五年三月には国の新ゴールドプランにより、再度の「第二次長野市総合計画」の補正をするとともに、向こう七ヵ年間の「長野市老人保健福祉計画」を策定し、保健福祉の総合的サービス提供体制の整備をはかることにした。この二回の補正に基づいて、長野市の高齢者福祉は、独り暮らしや寝たきり老人・痴呆性老人などを対象に、ホームヘルプサービス・デイサービスおよび入浴サービスなどの充実がはかられ、施設の面では介護を必要とする高齢者の特別養護老人ホーム・軽費老人ホームなどの建設が促進された。
デイサービスは、寝たきりまたは痴呆性の高齢者等を車でサービスセンターに送迎し、日帰りで日常動作訓練、入浴、食事等のサービスを提供するもので、平成五年度には七ヵ所(表5)であったものが、同十一年度末までには寝たきり・虚弱一五施設と痴呆性八施設で、計二三施設が整備(表6)された。十一年度からは土曜・日曜・休日もサービスをおこなうホリデーサービスを、すべてのデイサービスセンターで実施することにした。
ホームヘルプサービスは、寝たきりの高齢者など日常生活に支障のある高齢者がいる家庭に、身体介護や身の回りの世話など、家事援助をするためにホームヘルパーを派遣するものである。平成五年度のホームヘルパーは八八人であったが、十年度末には一五〇人(パートヘルパーをふくむ)を確保した。七年度にはホームヘルプサービス事業の時間外・休日対応を施行し九年度からは、それまでの滞在型に加え巡回型のホームヘルプサービスを始め、また、十年度からは二四時間対応も実施するようにした。
ショートステイは、寝たきりの高齢者などを在宅で介護している家族が、一時的に介護が困難になった場合に、施設で預かり家族に代わって世話をするものである。このための施設は平成五年に八ヵ所五三床であったが、十年度末には一二ヵ所一二〇床になっていた。
このように高齢者福祉事業では、これらのほかにも、さまざまな事業を加えて実施していたが、この間にも介護を必要とする高齢者が増加しつづけ、しかもその程度が重度化するとともに、寝たきり期間が長期化する傾向が現われてきた。いっぽうでは、核家族化や女性の社会進出にともなう家族の介護機能の低下などにより、介護が老後最大の不安要因となってきた。そのため、家族の負担は増加し「介護地獄」と呼ばれる深刻な状況が生じた。
このようななか、これまでの制度では、高齢者の介護サービスが老人福祉と老人保健医療で、それぞれ提供されていたため、利用手つづきのちがいや利用者負担の不均衡から「総合的サービスを利用できない」・「サービスが自由に選択できない」・「介護を理由とする一般病院への長期的入院」などの問題がでてきた。こうした状況から、これまでの制度の再構築をはかり、国民の共同連帯の理念に基づき、社会全体で要介護者の介護を支える仕くみとして、「介護保険制度」という全く新たな制度が登場することになった。それが国による五ヵ年計画の「高齢者保健福祉計画」(ゴールドプラン21)である。
この制度については国(厚生省)が、すでに平成六年(一九九四)に「新介護システムの構築提言」からスタートしていたが、具体的には、同七年七月社会保障制度審議会が、公的介護保険制度の創設を勧告したことから本格的に取りあげられ、数回の国会審議を経て、九年十二月の国会で介護保険法が可決され、同年十二月十七日公布、十二年四月一日から施行されることになった。
介護保険制度のねらいはまず、つぎの四点があげられた。
① 介護が必要な状態になっても、自立した生活ができるよう、高齢者の介護を社会全体で支える。
② 社会保険方式により、給付(介護サービス)と負担(保険料や利用料)との関係を明確にする。
③ 縦割り制度を再編し、利用者の選択により多様な提供機関からサービスを総合的に受けられる。
④ 介護を医療保険から切りはなし、社会的入院解消の条件整備をはかるなど、社会保障構造改革の第一歩とする。
介護保険事業の発足に当たっては、長野地域一八市町村長会議が平成九年七月十日に開かれ、まず、長野地域広域行政推進研究会を設置し、その下部組織に介護保険制度専門部会を設置した。この部会では制度の円滑な導入や、介護認定審査会について検討審議し、認定審査会については広域行政組合の共同設置案をまとめた。
長野市は、このような国と広域行政組合の動きのなかで、十年四月一日福祉部内に介護保険準備室を設置し、同年八月要援護高齢者などの実態調査を実施し、十一年二月長野市老人保健福祉計画・介護保険事業計画策定委員会を設置した。同年四月一日長野広域行政組合に介護認定審査室を設置、八月一日介護認定審査会(介護認定調査員一五人雇用)を設置した。十月一日準備要介護認定申請受付けを開始、十月八日介護認定審査会は実質審査を開始した。十二年三月長野市介護保険条例および規則を制定し、同時に長野市老人保健福祉計画と長野市介護保険事業計画を策定した。そして六五歳以上の被保険者にたいし、被保険者証をいっせいに公布した。十二年四月一日介護保険法の施行にあわせ、長野広域行政組合は発展的に解散し、長野広域連合が発足した。同時に長野市の介護認定審査室は介護認定審査課に改名されて、本格的に介護保険事業がスタートした。
十二年十月一日現在、長野広域の六五歳以上人口は一一万五五八一人、このうち、要介護申請者数は一万三四七二人(認定申請率約一一・七パーセント)であり、県下一〇広域連合中最大となっていた。