雪のない冬場の道路をスパイクタイヤをはいた車がガリガリと金属音を響かせて行きかい、粉塵(ふんじん)が舞いあがる。こうした光景は、春が近づくと街のあちらこちらでみられた。県の公害課の調査によると、一二時間に七〇〇〇台前後通過する幹線道路だと一シーズンに約三ミリメートル道路がけずられるという。消えたセンターライン・横断歩道の線の引きなおしや舗装のやりなおしにかかる費用は、長野市の場合一年間で約一七〇〇万円にのぼった。「より安全な走行を」と考えだされたスパイクタイヤが、粉塵による健康への悪影響など、生活環境を悪化させていたことにより、脱スパイクへ具体的な取りくみを始めたのは昭和六十年代になってからである。
長野市は、昭和六十二年を「脱スパイク元年」と位置づけ、公用車にスタッドレスタイヤを使用したり、市民のモニターを募集するなど、脱スパイクに向けて動きだした。キャッチフレーズは「ふれ愛ながの いきいきスタッドレス・シティ」とし、「ふれ愛ながの」にはドライバーが粉塵公害に悩む人の気もちを理解すること、「いきいき」には安心して空気を吸える環境づくりの願いをこめた。スパイクタイヤを利用している運転者の八割以上が道路の粉塵を「ひどい」、その半数が「自分は加害者」「運転者も被害者」と感じながらも、ほぼ三人に二人はスパイクタイヤを使いたいと思っている。その考えの根底には、スパイクタイヤよりもスタッドレスタイヤの方が滑って危険と多くの人が思っていることが上げられた。市が「脱スパイク元年」に位置づけたのはスタッドレスタイヤについて正確な情報を運転者に伝え、脱スパイクの普及をはかるというねらいがあった。
同年十二月十五日、市は冬道安全運転講習会を初めて開き、スタッドレスタイヤをPRした。参加した市民は「雪道で急発進・急ハンドルなど急のつく運転はさけること、スタッドレスタイヤは乾燥路面ではスパイクタイヤより燃費も性能もいい」との講演を聞いた。この年おこなったスパイクタイヤ装着率調査で、初めて装着率が前回調査より低下し、五八・九パーセント(前回六一・九パーセント)となった。また、スタッドレスモニターのうち八六パーセントがスタッドレスタイヤに不満を感じなかったと回答をよせた。これにより市ではドライバーの意識改革への足がかりを得た。「年末までタイヤチェーンを積んでいたけれど、いつ雪が降るかわからないので、スパイクタイヤにはきかえた。坂が多く滑るんじゃあないかと不安。」「全輪スタッドレスタイヤを購入する金銭的余裕もないし、スパイクタイヤがまだ使えるから。今年は雪がないから肩身がせまいが朝夕凍結する道路も一部あり、普通タイヤじゃ無理」という声や「来シーズンはスタッドレスタイヤ」との声も多くあり、脱スパイクの意識は徐々にではあるが、広がりをみせた。
市はスパイクタイヤの製造や販売禁止、スパイクタイヤ禁止の法制化の動きを受けて、「脱スパイクタイヤ推進市民大会」を開催、粉塵被害の実態やスタッドレスタイヤの性能、安全な冬道の運転方法の説明をおこなった。あわせて、スタッドレスタイヤやタイヤチェーンの展示、スパイクタイヤのピン抜き実演をおこなうなど、市民運動をいっそう盛りあげた。また、モニターも前の年の三倍の三〇〇人にふやした。雪対策では除雪車出動基準を「おおむね一五センチメートル卜以上」から「同一〇から一五センチメートル以上)に引きさげ、粉塵を取りのぞく道路清掃を九二路線に拡大するなど、粉塵の除去の強化をはかった。
平成元年(一九八九)には一月のスパイク装着率が五一・五パーセントであったが、一月としてはこれまでの最低値を示し、冬用タイヤの売りあげも半数以上をスタッドレスタイヤがしめる店がふえるなど一定の成果を得た。県の調査によると、スタッドレスタイヤの装着率が高いのは松本市の一七・九パーセントで、長野市は上田市につづいて一二・二パーセントであった。この年長野市は「スパイクタイヤ早期はきかえキャンペーン」をスタートさせ、「今、この道でスパイクタイヤ必要でしょうか」と書いた看板を道路にたて、はきかえを呼びかけた。さらに、三月二日から六日まで東和田の運動公園陸上競技場入り口でピン抜きを実施した。市民四一二人が一五七四本のタイヤのピンを抜いた。六十一年度から実施したモニター制度は初年度が七〇人、六十二年度一〇〇人、六十三年度三〇〇人と枠をふやしてきた。この年も採用枠を五〇〇人に拡大し、対象者には新しくスタッドレスタイヤを購入し、性能や効果について二回のアンケートに協力してもらうことを条件に、一人一万円の報償金をだした。
平成二年は十一月にスタッドレスタイヤの氷上体験試乗会を長野スケートセンターで開催した。会場には、この冬「スタッドレスにしよう」という市民が一三〇人余集まって、「急発進」「急加速」「急旋回」「急制動」をさけることを体験した。平成三年にはスパイクタイヤ粉塵発生の防止に関する法律(平成二年成立)に基づくスパイクタイヤ使用禁止が適用され、長野市は指定地域となった。翌年各家庭で保管しているスパイクタイヤを一本当たり五〇〇円(ホイル付き六〇〇円)で回収する方針をかためた。この方針がうまれたのは、市民の回収への要望がきわめて強いことや不法投棄も見のがせなくなったことに配慮したからであった。
脱スパイク運動を展開してくるなかで「地球環境保全が大きな関心を呼ぶ今、足もとから健康で快適な生活環境をつくっていくこと、脱スパイクタイヤ社会にふさわしい冬の新しいライフスタイルを築きあげていくことが必要である」という理念がつくりだされ、市はこれを『広報ながの』で強く市民に訴えた。
スパイクタイヤが全面禁止となった翌年、平成五年三月「交通安全都市宣言」をした。その内容はつぎのようであった。
「安全で豊かな生活を営むことは、私たちの切なる願いです。この願いを一瞬にして奪(うば)い、平穏な家庭や暮らしを破壊する悲惨な交通事故をなくすことは、重要かつ緊急の課題です。
交通事故をなくすためには、人命尊重を基本理念に、交通環境の整備に努めるとともに、世界に誇れる交通マナーの向上と、交通安全意識の高揚をはかることが最もたいせつです。
今こそ、すべての市民が一丸となって、かけがえのない命を守るために、自らが交通事故防止につとめ、安全なまちづくりに取りくむ決意を新たにし、交通事故ゼロヘの願いをこめて、ここに長野市を、交通安全都市とすることを宣言します。」