開催都市長野市の取りくみ

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平成三年(一九九一)六月、イギリスで開かれたIOC総会において、長野市が第一八回オリンピック冬季競技大会の開催都市に決定したあと、同年十一月文部省競技スポーツ課、日本オリンピック委員会(JOC)、長野県、長野市で構成する長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)が発足した。役員には、会長に斎藤英四郎スポーツ振興資金財団会長、副会長に吉村午良長野県知事、古橋廣之進JOC会長、堤義明全日本スキー連盟会長、塚田佐長野市長の四人、事務総長には津田正であったが、平成五年四月から小林實元自治事務次官が就任した。NAOCは平成五年三月までに大会基本理念「長野オリンピックは一二世紀への架け橋となるスポーツの祭典である 新しい時代の英知をもとめ美しく豊かな自然との共存と、さらなる平和と友好をめざす。そして、競いあう情熱と温かい思いやりを胸に、オリンピックに集う歓びを世界の友とわかちあいたい」と大会テーマ「世界からひとつの花になるために」などを決定し、平成七年三月には大会運営基本計画を策定した。


写真32 到着したオリンピック旗の市内行進


写真33 オリンピック旗歓迎集会

 その第一部では、大会の基本理念が示され、「愛と参加の長野オリンピック」を強調している。そして、子どもたちの参加促進・美しく豊かな自然との共存・平和と友好の祭典の三本の柱がすえられていた。

 第二部では、つぎのような長野オリンピックの概要が示された。

・開催年       一九九八年(平成十年)

・開催時期      二月七日(土)から二月二二日(日)までの一六日間

・開催都市      長野市

・競技会場地     長野市、山ノ内町、白馬村、軽井沢町、野沢温泉村

・運営主体      財団法人長野オリンピック冬季競技大会組織委員会

・参加国、地域    六〇数ヵ国(NOC)

・参加選手、役員数  約三〇〇〇人

・実施予定競技    七競技(六四種目)スキー二九種目、スケート二〇種目、アイスホッケー二種目、バイアスロン六種目、ボブスレー二種目、リュージュ三種目、カーリング二種目

 平成七年十二月のIOC理事会で、スノーボードの実施が決まり追加されたため、最終的な実施競技はスキーが四種目ふえ七競技六八種目となった。

 第三部では、準備・運営の指針として、競技、文化・式典、メディア、大会運営、オリンピック村、情報・通信、運営・要員、広報・デザインの八分野にわたって事業ごとに基本計画が策定された。

 以上の基本計画に基づいて、第一八回オリンピック冬季競技大会実現に向けて関係各種団体、市民一般をふくめて広範な活動が展開された。そのうち、開催都市である長野市のオリンピックへの取りくみは、つぎのようであった。

 長野市は、開催都市に決定した直後の平成三年十月に、総務部オリンピック準備事務局をオリンピック局に拡充し、関係機関との連絡調整、広報宣伝事業、用地取得、建設事業などの推進にあたった。また、オリンピック準備調整委員会は助役を委員長に、関係部長を構成員にして、広報、財政、施設、交通、受けいれ対策、環境、防災、救護、文化、大会運営について連絡調整にあたった。この組織は、平成八年(一九九六)六月にオリンピック長野市推進本部と改称し、市長が本部長となり、大会運営支援の八部門の業務(総務、施設、環境、文化、観客、交通、オリンピック会場、パラリンピック会場)を遂行した。財政支援では、長野市からNAOCへ派遣した職員の給与にたいする人件費補助金と、大会運営費補助金を支出したほか、競技・運営会場施設や駐車場の建設・整備など、オリンピックに関連する各種事業を推進した。


写真30 外国人五輪選手の宿泊所として建設された今井ニュータウン


写真34 若里に新設のNHK

 長野市関係者のNAOCの組織への参加の状況は、つぎのようであった。

市長           副会長

市議会議長        組織委員

市議会特別委員会委員長  組織委員

助役           実行委員

部課長          専門委員会委員

教育次長、消防局長    専門委員会委員

 長野市はNAOC設立時から事務局に職員を派遣し、その数は最高時には七二人に達した。大会時には、競技・運営会場へNAOCから委嘱を受けて、長期・短期の支援職員、交代要員を合わせて一四〇二人を派遣したほか、大雪時の除雪など緊急事態、聖火リレーや文化プログラム、行幸啓にともなう諸準備・運営、駅案内所でのインフォメーションなどの支援を、市庁を挙げておこなった。また、各種の警備的業務に派遣された市職員、消防団員の数は、延べ六〇〇〇人に達した。


写真35 長野市に聖火到着

 長野市は、多目的ホール、運動・文化施設、集合住宅として建設した公共施設を競技・運営会場として、表8のようにNAOCへ提供した。このほか、旧カネボウ綿糸(鐘紡)長野工場あとを国際放送センター(IBC)に、また、パークアントバスライド方式による観客輸送シャトルバスの発着場となる駐車場として、千曲川河川敷約九万八〇〇〇平方メートルを整備し、乗用車二三〇〇台分、南長野公園敷地内に一八〇〇台分のスペースを確保して提供した。


表8 長野市提供のおもな施設・会場等

 長野市がNAOCに提供した競技施設概算事業費の合計は八七三億円に達し、その負担区分は国が四〇五億円、県が二三四億円、市が二三四億円であった。

 大会基本理念の実現に向けて長野市が取りくんだ事業のなかで特徴的なこととして、オリンピックへの子どもたちの参加があげられる。その一つが「一校一国運動」である。長野市では平成七年から子どもたちの国際化教育の一環として一校一国運動をすすめてきた。この運動は、市内七六の小・中・特殊教育各学校が、一校ごとにそれぞれ担当する国・地域を学習し、その国の選手を応援、国際交流を深めようとする取りくみである。

 子どもたちは、オリンピック大会前の国際競技大会での応援や、来日した選手・大使館員と交流したり、各国選手団のオリンピック村人村式に参加して選手団歌を斉唱したり、選手を学校に招いて交流を深めた。次世代をになう子どもたちにとっては、この体験が一生の財産となるとともに、長野オリンピックを盛りあげるために大きく貢献した。

 そのほか、長野オリンピックを平和と友好の祭典にするために、つぎのような運動や事業がおこなわれた。

①「はあてぃ長野運動」は、市民が長野を訪れる選手・役員、観客を心から温かく歓迎しようとするもので、平成七年からすすめられた。市内全二六地区に「はあてぃ」協力会組織を設立し、各組織ごとに「地区内の清掃や除雪」「競技会場などを飾るためのハボタンの栽培」「お土産づくり」「一校一国運動との連携による国際交流」などの活動をすすめた。

②接遇・外国語研修は、長野を訪れる観客などへの温かいもてなしの精神を養成するため宿泊、交通、商店、飲食店関係者と市民を対象として、平成六年から各界著名人を講師に、接客上の心得などについての研修会を五回実施した。平成五年から、オリンピックボランティアの語学力の向上を目的として、通年の外国語研修講座(英語九講座、フランス語一講座)を実施、受講生は延ベ一〇六八人にのぼった。

③長野オリンピック国際協力募金(長野オリンピック・ハーモニー)活動は、一校一国運動の交流相手のなかで、教育環境の整わない国・地域と、貧困や紛争に苦しんでいる国の子どもたちに教育支援をおこなおうと、長野市が中心となってNAOC、JOC、日本ユニセフ協会、長野県の協力により平成九年から始められた。募金額は二億一〇〇〇万円をこえて、一五ヵ国へ支援金がおくられた。

④冬季オリンピック開催都市市長会議の開催は、平成十年(一九九八)二月八日、長野市長が主唱して初めて開催されたもので、「冬季オリンピック開催都市宣言」を世界に向けて発信した。

⑤世界へ平和の実現に取りくむ長野市議会の決議では、平成十年一月、長野市議会は毎年二月七日を「長野オリンピック記念平和の日」とすることが満場一致で決議された。

⑥市街地の整備と装飾は、冬季オリンピックの開催を機会に国際都市としての都市環境の形成がはかられた。その一つが、長野市の玄関口であるJR長野駅の東口を拠点とする土地区画整理事業である。オリンピック開催中東口にはシャトルバスの発着場やボランティア交流広場、地元広場、スポンサー広場などが設けられ、それらの施設は「東口オリンピックプラザ」として活用された。

 また、長野市は「屋外広告条例」「長野市の景観を守り育てる条例」にのっとり、商品広告物等の自粛、建物敷地内や周辺の緑化につとめた。


写真36 長野駅前の冬季五輪開会までのカウントダウン電光掲示