学校五日制と特色ある学校づくり

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社会のはげしい変化のなかで、国民の生活意識の変化や世論の動向から、臨時教育審議会(昭和六十年代)と中央教育審議会(平成年代初頭)は、つぎのことを指摘した。

 ①学校教育はすでに家庭教育の一部を肩がわりし、本来の教育に専念できない行きづまりの状況を呈している。

 ②学校におきている諸問題は、家庭に起因していることが少なくない。

さらに、言及して、家庭が本来の教育力を回復し、責任を果たすべきだという世論が高まっていることをのべ、学校はこのような時代に、主体的に対応できる資質や能力を目ざした学校教育のあり方をもとめるよう、文部省に答申した。

 これを受けて文部省は、子どもを家庭に返して、家庭や地域社会のなかでゆとりをもってふれあいをふやし、地域の教育力の支援も得ながら子どもたちの成長をはかろうと計画した。国際化・情報化・科学技術の発展など、急激に変化していく世のなかでもとめられる資質や能力は、「生きる力」であるとした。そこで子どもたちにたいしては、自ら課題をみつけ、主体的に判断・行動して解決する能力、豊かな人間性、健康や体力を重要な要素と考えて、学校・家庭・地域社会全体を通して「生きてはたらく力」を育むことを重視することとした。そのため、学校教育の方向は、従来重視されてきた知識・技能を教えこむ教育から、学校五日制によるゆとりのなかで自ら学び考える教育へと、転換をめざすことになった。実施に向けて文部省は各県教委から実験校の推薦を得て、月二回の土曜休校の調査研究協力校(平成四年四月)を指定して、社会の変化に対応した学校運営のあり方の研究をすすめた。長野県内では県短期大学付属幼稚園・城山小学校・西部中学校・長野吉田高校・長野養護学校の五校園が、指定を受けて研究をしていた。これらの五校園は、家庭・地域の影響をつかみやすく、兄弟姉妹が通うなどの連続性があるということで選ばれていた。文部省はあわせて、学校週五日制を見とおして学習指導要領の改訂をおこなうとともに、調査研究協力者会議の提言を受けて、平成四年(一九九二)九月から毎月第二土曜日を休業とする試行を始めた。

 市教委でも『広報ながの』(平成四年八月)誌上で、子どもたちのすこやかな成長・豊かな心の育成を願って、愛と規律ある家庭づくりや家庭・学校・地域の連携を呼びかけた。とくに家庭では、家庭のきずなを深め子どもの自主性を育てるため、①子どもの自主性をたいせつにし、計画に援助を、②家族の一員としての役割分担を、③遊び・野外活動などで、家族とともに過ごす時間をとることなどを、よびかけている。また、地域社会では、仲間や自然とふれあい、心の豊かさを育てるために、①公園・運動施設などで、子どもだちとのかかわりを、②公民館や各種施設などでは、子どもの個性や趣味に合わせてのレクリエーションを、③地域の皆さんと一緒に、社会に役だつ活動を、と呼びかけている。


写真75 水辺環境観察会

 第一回の土曜休日は、平成四年九月十二日に実施された。市教委では、その日の過ごし方について、小学校一五校六七五九人、中学校八校三八八二人を対象に調査をした。それによると過ごした場所では、自宅が小・中合わせて五七パーセント、学校九パーセント、友だちの家六パーセント、塾・ならいごとは、小学生一・五パーセント、中学生〇・四パーセントであった。過ごした内容では、TV・TVゲーム一八パーセント、以下学習、戸外での遊びの順で、部活は中学生で八パーセントであった。土曜休日の過ごし方の計画については、小学生四四パーセント、中学生六八パーセントが立てていない、と答えており、子どもたちは特別に意識化して過ごしていないようすがうかがえる。

 平成四年四月の育児休業法施行、五月の国家公務員の完全週休二日制実施につづき、翌五年五月からは市役所も生活関連施設などを除き、毎週土・日曜日を休みにする完全週休二日制の実施にはいった。各小・中学校では、調査研究協力校の取りくみを参考に、月一回の土曜休日から月二回(七年四月から)、さらに、完全学校五日制(十四年四月から)を見とおして対応策を検討している。多くの学校の傾向は、教科外活動や学校行事の精選が中心であり、地域の人材の活用と児童会クラブ活動・学校裁量・学校行事の削減・圧縮・統合が考えられた。各学校では前回の学習指導要領改訂の際に教材の精選をすすめたことから、教科指導では基礎基本のきめだし・指導のねらいの明確化・指導法の工夫改善・体験活動の取りいれなどをすすめるところが多かった。

 このような学校独自の教育計画の検討をすすめるなかで、各学校には地域や社会に開かれた学校、特色ある学校づくりがもとめられるようになった。各学校では、授業参観日や学校行事の一般開放をすすめて、寄せられた意見や感想を参考にして、教育改善につとめた。どの学校でも、地域に開かれた学校づくりにかかわって広く人材をもとめ、すぐれた知識・技能・体験をもつ人を、教育活動の講師として招いている。表17にみられるように、松ヶ丘小学校でも、多領域にわたって指導者を招いたり、多様な活動を展開している。


表17 地域指導者の招聘(例)


写真76 青少年赤十字の炊き出し学習
(松ヶ丘小学校提供)

 市教委でも、特色ある学校づくり推進のために、十一年度からは一〇〇〇万円の予算を計上して、学校からの申請計画書の内容を審査し、一校五〇万円以内の範囲で助成を始めた(所期の目的を達成ということで十五年度までで終了)。十一年度は小学校二五校、中学校八校が申請して助成を受け、翌年度からはほとんどの学校が申請して、補助金を活用した事業がすすめられるようになった。補助金額は十二年度では、事業内容に応じて、七万円から二五万円が交付された。中学校では、特色ある学校づくりに向けた講演会・視察や、総合的な学習の時間での体験学習が多く実施された。小学校では、米・野菜・いも・りんご・けなふ・きのこなどの栽培や、チャボ・ウサギ・アヒル・メダカなどの飼育が、多くの学校でおこなわれている。福祉施設・保育園・特殊学校など地域の人々や、一校一国運動の継続による外国の人との交流、ビオトープ(小動物や昆虫などが、共生できる生息空間)づくり・自然林整備など、総合的な学習の時間にかかわる活動も多くみられた。綿内小学校では、ビオトープ作りの実践を市およびPTA補助金を利用して、「風になろう」にまとめて刊行した。

 また、文部科学省では、地域住民の学校運営への参画をはかるため、学校評議員制度を設けた。長野市でも、学校が保護者や地域住民等の信頼にこたえ、地域に開かれた学校づくりを推進するため学校評議員をもうけた。各学校では校長が学校評議員に学校の活動状況などを説明し、学校評議員から学校運営への提言・助言をうけたり、教育について幅ひろく話しあったりすることになった。長野市の学校評議員制度は、内部で十分に検討するとともに、先進市町村のようすを調査して、十三年度後半から試行を始めた。モデル校として市内の小・中学校から各七校ずつ、計一四校を選んで実施した。その結果を参考にして、十四年度からは市内の全小・中学校でも実施した。長野市の学校評議員は、学校外の者で教育に関して理解および見識を有する者で、人数は一校六人以内、任期は一年、身分はボランティアとした。校長が市教委に推薦し、そのなかから市教委が学校評議員を委嘱している。学校評議員には、区役員・民生児童委員・関係機関や施設の代表者・元PTA役員・地域の有識者などが、多く委嘱された。試行後学校からの報告によると、学校だけでは気づけない地域性の共通理解、地域と学校との連携、地域の特色を生かした父母・子どもの活動などについて話しあいがなされた。そして、特色ある学校づくりや開かれた学校づくりに向け、有益な提言と学校にたいする熱い思いが語られた。

 今後も学校は、主体的に生きる児童・生徒の育成を目ざして、地域や父母・地域の各種団体との連携を深めながら、教師の創意と情熱によって、いっそう特色を発揮していくことが期待されている。

 いっぽう、高校では、平成元年(一九八九)十一月、県高校長会が現役高校生の四年制大学への進学率低迷の現状を訴えたことから、学力向上問題がクローズアップされた。それは教育諸団体・県議会をはじめ、県経営者協会や市民までもまきこむ広範な論議となった。そのなかでは、高校にとどまらず、小・中学校段階での基礎学力までが問われる、幅ひろい論議に発展した。県教委では改善のための委員会を発足させたり、学力向上推進校を指定したりして、改善に乗りだした。学力・学習意欲・生活実態調査などにより、家庭学習もされなくなってきている、子どもたちの実態が明らかになった。

 そのため、三年度からは、学力実態調査・中学校での習熟度別授業の導入とともに、高校では特色ある学校づくりのための教育内容の改善がすすめられた。長野西高の国際教養科(十一年度)・長野商業の会計科(十三年度)などの新学科、長野商業定時制の単位制コース(八年度)が始められた。また、推薦入学制度は、昭和五十七年度の職業科につづき、平成十年度には地域高校の普通科九校にも拡大された。さらに、昭和四十九年度から施行されてきた県立高校普通科の一二通学区制は、学力向上問題とも関連して論議された。これまで一二通学区制は、学校選択の自由確保のために、調整区の設定や一定枠を隣接学区からの入学を認める「パーセント条項」など、部分的手なおしをして存続してきた。ところが田中知事の学校選択の不公平感などの発言を受けて、県教委は県立高校通学区検討委員会を設置して諮問した。委員会の最終報告を受けて県教委は、平成十六年度(二〇〇四)入試から四通学区制に移行することを決定した。この実施に当たって各高校には、過度の受験競争を避けるためにも、多様な選抜方法をふくめた特色ある学校づくりの推進が望まれている。

 このような動きのなかで、長野市には、建築後三〇年以上経過し校舎が老朽化している市立皐月高校の移転改築問題があった。市では「市立皐月高校の特色ある学校づくりおよび施設整備検討委員会」の答申にもとづいて、三才駅北側への移転改築が計画されていた。しかし、鷲澤市長は、景気低迷による市財政のきびしい状況や、十六年度入学者から実施される四通学区制、特色ある学校づくりの推進、生徒数の減少など、状況の変化をうけて、十四年六月市議会で計画の中止を表明した。これによって、県下唯一の市立高校をめぐる問題は、建てかえ場所をふくめて再検討されることになった。