長野市は、平成九年(一九九七)四月市制施行百周年を迎えた。市は明治三十年(一八九七)市制施行以来一〇周年ごとに、表19のように九〇周年(一九八七)まで記念式典のほか各種の記念事業を計画し実行してきた。
百周年の記念事業については、はやくも九〇周年の翌年から計画がはじめられた。昭和六十三年(一九八八)十二月の市議会で「市制百周年を迎えるにあたって市史編さんをすべきではないか」という議員の質問にたいし、塚田市長は、「市制百周年は記念すべき年、長野市誌を刊行していきたい」と答弁した。これをうけて市では着々準備をすすめ、市制百周年記念事業として平成二年(一九九〇)四月から企画調整部企画課内に事務局(担当者二人)を配置し開始することになった。この記念事業は、全一六巻の総合市誌とし平成九年の市制百周年に初刊本四巻を発刊し、平成十六年度にはすべて刊行を終える計画とした。長野市における市制施行百周年記念事業は、はじめ市誌編さん事業だけが先行して、ほかにはまだ計画されていなかった。
その後、長野冬季オリンピック・パラリンピック大会が、平成九年度の冬季に長野市で開催されることにともない、平成八年二月二日には、「長野市制百周年記念事業の基本方針」が決定された。それは、このオリンピック・パラリンピック両大会を最大の百周年記念イベントと位置づけるとともに、そのほか市民がこぞって何らかの形で記念事業に参加し、共に祝うことができるような事業展開をはかり、これらを契機としてさらなる国際文化都市・高度福祉都市を目ざすというものであった。同時に記念式典の期日についても、これまでの四月一日を十月十六日とした。理由は、昭和四十一年(一九六六)十月十六日に現長野市域二市三町三ヵ村が大合併した記念日に合わせたものであった。そして、あらためてつぎの一三項目が百周年記念事業として位置づけられた。
① 地域ふれあい・交流・活性化事業(地域の歴史、伝統、文化などを生かしたまちづくりや地域住民の健康・福祉の向上をはかる事業への助成)《平成十年~》
② 長野オリンピック文化・芸術祭、長野パラリンピック文化プログラム《平成九年二月~平成十年二月》
③ 市立博物館特別展(古代・中世人の祈り~善光寺信仰と北信濃~)《平成九年四月二十六日~六月一日》
④ 北陸新幹線開業イベント《平成九年九月二十三日》
⑤ 信州ふるさと自慢大集合・友好関係都市物産展《平成九年十月四日・五日》
⑥ 市制百周年記念式典《平成九年十月十六日》
⑦ 長野市一〇〇選写真出版事業《平成九年・十年》
⑧ 長野市誌編さん事業《平成九年発刊開始~十六年完結》
⑨ 長野オリンピック冬季競技大会(位置づけ)《平成十年二月七日~二十二日》
⑩ 長野パラリンピック冬季競技大会(位置づけ)《平成十年三月五日~十四日》
⑪ 記念テレビ番組制作《平成十年》
⑫ 国際交流センターの設置《二一世紀初頭》
⑬ 城山公園整備
これらのうち、オリンピック関係のものや新幹線のように長野市だけでなく、外部団体や外部機関をともなったもの、あるいは特定の期日または短期間にかぎられたもの、または、前述の長期にわたる長野市誌編さんなどを除けば、市民の自主的参加によるものとしては「地域ふれあい・交流・活性事業」があげられる。
この事業は、旧長野市の第一から第五地区までと昭和二十五年六月時点における旧町村の区域を単位とし、または当該区域を合わせた地域を単位として、実行委員会を組織し計画された事業に、補助金を交付して実施するものであった。事業は原則として一年間、内容によっては最長五年間とする。補助金の額は、つぎの原則により算定された。
① 計画策定補助金として、各実行委員会ごとに一律十万円を限度とする。
② 事業実施補助金として、各地区ごとに均等割り(一〇〇万円)+世帯数割り(一五〇〇円×世帯数)を限度とする。ただし、算定した額が五〇〇万円に満たない場合は、五〇〇万円とする。
③ 篠ノ井、松代、若穂、川中島および更北地区においては、昭和二十五年六月三十日現在の旧町村区域、または、当該区域を合わせた地域を単位として実施することができる。その場合の事業実施にたいする補助は、均等割り(一〇〇万円×町村数)+世帯数割り(一五〇〇円×世帯数)の額を限度とする。
市は、各区の計画策定のために、他県の町村区等における実施サンプルを配布して参考に供した。これにこたえて、各区や地域では競って計画策定にかかり、早いところでは一~二年で完了したものもあったが、多くは数年をかけて、かなり手のこんだ事業を計画したものもみられた。それらの活動を平成十三年度末現在でみれば、①地区の歴史や文化的遺物・遺産などを調査し、記念誌やガイドマップなどにまとめる。また、それらをもとにした地域展や学習会などの実施、②地区の後世にのこる記念碑や各種記念物などの設置、③地区の自然を生かした、ふるさと復活、活性の里・むら・まちづくり(ホタルの里づくり、お達者むらづくり、伝統の甚句や神楽、雅楽、花のむら・まちづくりなど)である。
百周年記念式典当日(写真89)には、平成九年度長野市表彰式が同時におこなわれ、長い間、区長、農業委員、民生・児童委員、消防などにつとめた人など、市政の振興に功績のあった一二二人、二三団体が、功労表彰・一般表彰・技能功労表彰・消防団員表彰に分けておこなわれた。
以上の記念事業とは別に、やや遅れて平成十一年(一九九九)二月二十四日、市立博物館内に設置された「市制百周年記念タイムカプセル」の埋設がおこなわれた。このカプセル(写真90)は、現在の長野市の姿を未来の市民に伝えようとするもので、直径が七〇センチメートルのアルミ製である。このなかには、塚田市長が百周年後の市民にあてたメッセージや長野市誌(一部)、市総合計画書、長野オリンピック・パラリンピック報告書、各種統計書などが収められた。なお、カプセルの表面には「市制百周年記念、タイムカプセル」と書かれており、このカプセルは、市制施行二百周年の二〇九七年に開かれることになっている。
また、松代地区の市制施行百周年記念事業実行委員会でも、町内の小中学校計七校と一般から、絵画・作文・習字・手紙などを集め、タイムカプセルを埋設した。埋設場所は真田公園内東側の五輪記念像(聖火ランナー像)前で、埋設式は同年九月十五日におこなわれた。カプセルは縦五二センチメートル、横四六センチメートル、高さ六六センチメートルの耐火金庫を用い、地表には大理石の石碑を置いた。カプセルが開かれるのは、五〇年後の二〇四七年四月一日としている。