「長野」の地名の起こった場所

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大門(だいもん)町の西に平行して西町があり、その西町の西にもう一つ平行して長門(ながと)町がある。この長門町は、近世には「長野町」とも呼ばれていた。いまも上長野・下長野のに小字(こあざ)名があり、また、現在の信大教育学部のあたりに袖長野・中長野・西長野の小字名がある。「長野」はこのあたりについた小地名で、この地名の初見は、元亀(げんき)元年(一五七〇)の武田信玄宛行(あてがい)状である。「野」は扇状地などの傾斜面をそう呼ぶことがあるから、「長野」は「長いゆるやかな傾斜面」という意味か。


写真2 「長野町」のおこり 長野県庁は明治4年西方寺に置かれ、ついで同7年、菩提院跡へ新築移転した。つまり長野県庁は「長野」の地名のおこりの地のごく近くにあった