新諏訪(しんすわ)町遺跡

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長野商業高校の西約五〇〇メートルの旧善光寺白馬電鉄敷地にある。弥生中期の遺跡で、稲作文化が初めてこの地へ入ってきたころの遺跡として貴重である。弥生文化は北九州へ上陸してからかなりの早さで東海地方までは広まったが、高冷地の長野県地域へはなかなか入ってこられなかった。ようやく弥生時代中期になって入ってきたが、その弥生文化が最初に根づいたのは善光寺平(長野盆地)だった。この遺跡からは東海系の土器がたくさん出土し、稲の穂を摘むために使った有孔(ゆうこう)石包丁なども見つかっている。

 もう一つこの遺跡で注目されるのは、縄文式の名残りをもつ弥生式土器が出たことである。縄文の地(じ)の上に線を付けたもので関東・東北などに同じ系統の土器が出るという。縄文人が弥生人にと人種が変わったわけでなく、新しい文化が入ってきて生活が変わったものらしいことが分かる。