長野町と条里的地割り

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長野町東郊には広く条里的地割りの水田が残っている。図3は昭和二年発行の地図で①は三輪横山町からまっすぐに南に延びている条里の道である。②は善光寺仁王門北を通る道で、中道(なかみち)と称し、ほぼ千曲川まで通じていた。③は①と二町(一二〇間=二一八メートル)隔てた条里の道で、その左に一町(一〇九メートル)隔てた道がもう一本あるらしく、ほぼ長野電鉄権堂駅あたりになる。

 長野町の中心部分は岡の上にあるから条里的地割りは無理だが、境内の中心の仁王門裏の通り④が条里の中道に通じているのは、もとから注目されている。この通りと横町⑤のあいだは、ほぼ六〇間(一町)である。境内の南北は東之門町がほぼ二町半(二七三メートル)、二天門跡から駒返橋までも同じである。西町はほぼ二町、その裏町の長門町は一町である。これらは偶然とは思われず、善光寺境内とそれにつづく門前町は条里と同じ仕法で同じころ造成された可能性が高い。


図3 長野の条里(昭和2年発行の地図)