後庁郷

32 ~ 32

五町、郷長などとも書く。近世以降は後町と書いている。領主(地頭)は諏訪部(すわべ)四郎左衛門入道定心だった。諏訪部氏は、南信濃源氏で本籍は上田の千曲川右岸の諏訪部である。鎌倉時代初期、在庁官人(県庁役人)として善光寺門前に住み、後庁を領地として与えられた。定心は和田石見(いわみ)入道仏阿・原宮内(くない)左衛門入道西蓮・窪寺(くぼでら)左衛門入道光阿とともに善光寺奉行人に任じられたが、文永(ぶんえい)二年(一二六五)に辞めさせられている。諏訪部・窪寺・和田はいずれも鎌倉初期からの有力御家人であり、多分在庁官人の中心をなす人びとだったのだろう。