今溝(いまみぞ)とは新用水路ということらしく、鐘鋳(かない)堰か八幡堰かどちらかであろう。永万(えいまん)年間(一一六五~六六)に京都松尾神社神官の申請で荘園になった。元徳(げんとく)元年(一三二九)の文書(もんじょ)に今溝荘北条とあり、これは現在の大字高田北条にあたる。すると、その南にある中村が今溝荘の中心なのだろう。旧北高田村は北条・中村・五分一・川端の四集落に分かれており、中心の神社は守田廼(の)神社(八幡社)であり、その境内を巡って北八幡川が流れている。今溝荘の地頭が源氏でここに八幡社を祭ったのだろう。旧市の東部はこの郷に属していただろう。