慶長十六年九月、越後福島城主松平忠輝は、領内にある矢代(屋代)以北の北国街道諸宿に、伝馬条目を配布した。このとき、はじめて善光寺宿・丹波島(たんばじま)宿が公式に認定された。文言(もんごん)は全部同じで、長沼・福島(ふくじま)・川田にも同じものが配布されている。どちらが本街道か指定してあるわけではないが、善光寺を通る方が古来の道で、いつか本街道になり、松代を通る道は北国脇往還松代通りなどと呼ばれるようになった。増水で丹波島渡しの通れぬときは松代通りを通るので、雨降り街道とも呼ばれた。
北国街道善光寺宿の成立
慶長十六年九月、越後福島城主松平忠輝は、領内にある矢代(屋代)以北の北国街道諸宿に、伝馬条目を配布した。このとき、はじめて善光寺宿・丹波島(たんばじま)宿が公式に認定された。文言(もんごん)は全部同じで、長沼・福島(ふくじま)・川田にも同じものが配布されている。どちらが本街道か指定してあるわけではないが、善光寺を通る方が古来の道で、いつか本街道になり、松代を通る道は北国脇往還松代通りなどと呼ばれるようになった。増水で丹波島渡しの通れぬときは松代通りを通るので、雨降り街道とも呼ばれた。