本陣と問屋

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宿(しゅく)でいちばんだいじな役は本陣(ほんじん)と問屋である。善光寺宿では本陣も問屋もきまった家筋(いえすじ)はなく、何軒かでつとめた。本陣というのは、大名が通るときに泊まるいちばんりっぱな旅館で、善光寺宿ではこれをつとめた家が五軒ほどかわったが、安永(あんえい)五年(一七七六)から以後、藤井平五郎家がひきつづいて本陣をつとめた。

 問屋は規定の人馬を使って荷物などを輸送する役で、いわば宿の中心である。善光寺宿では、問屋をつとめた家が六軒ほどあるが、安永二年から、だいたい小野善兵衛家がひきつづいてつとめた。小野家の建物は、弘化の大地震のあとで問屋として建てられたものが、いまも残っている。幕末には、中沢与三右衛門家(五明館)にかわった。