善光寺の火災

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善光寺町は善光寺の門前町だった。善光寺は平安末期以来しばしば火災にあっているので、まず善光寺の火災について、まとめて述べる。

①治承(じしょう)三年(一一七九)の全焼 治承三年三月二十四日午前一〇時ごろ、天火(落雷による火災)により金堂はじめ二〇棟が全焼。これが最初の火災だった。建久(けんきゅう)二年(一一九一)本堂が再建された。

②文永(ぶんえい)五年(一二六八)の全焼 文永五年三月十四日の夜半、西之門から出火、一宇も残らず全焼。火災後三年半で復興。

③正和(しょうわ)二年(一三一三)の火災 正和二年三月二十二日午後四時ごろ火災。翌年から再建にかかる。

④応安(おうあん)三年(一三七〇)の全焼 応安三年七月四日午前四時全焼。以後本堂仮堂、四三年後の応永(おうえい)二十年(一四一三)にようやく本堂ができた。

⑤応永三十四年(一四二七)の全焼 応永二十四年三月六日の昼ごろ、東之門から出火して寺内が全焼した。八月から仮堂が造りはじめられ、寛正(かんしょう)六年(一四六五)に本堂が再建されたらしく、文明(ぶんめい)元年(一四六九)に塔が完成した。

⑥文明六年(一四七四)本堂焼失 文明六年六月四日、本堂が焼失した。永正(えいしょう)五年(一五〇八)の戒順の朝廷への言上書に文明九年六月二十四日とあるのは、誤りらしい。善光寺大勧進には享禄(きょうろく)四年(一五三一)に書かれた諸堂の設計図が残っている。本堂の分はないが、それより前に本堂は再建されたのだろう。

⑦元和(げんな)元年(一六一五)の全焼 慶長(けいちょう)二十年(元和元)三月三十日夜一〇時ごろ、天火により全焼。このあと土蔵造りの小堂が建てられ、寛永(かんえい)元年(一六二四)に仮堂ができた。

 四三七年間に七回の焼失で、六二年に一回の割になる。このうち、②は西之門から、⑤は東之門からの出火で、たぶん僧房か町屋が火元であろう。①・⑦は天火であるが、原因不明のものを天火としたかもしれない。時期はなぜか三月が大部分で、七例中五例(①・②・③・⑤・⑦)を占める。現在の火災多発の時期と一致している。