寺子屋と師匠

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旧市内には約四〇基の筆塚がある。善光寺経蔵南には「馬島二先生筆塚」がある。著名な書家だった馬島禅長・元長父子の筆塚で、篆額(てんがく)(篆書の題字)「筆冢(ふでつか)」と碑文は塚田大峯、碑陰記は岩下桜園の筆である。本堂西側の「田川茂三郎筆塚」(弘化(こうか)二年・一八四五)には「門生一千余人」とあり、文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)期に東町で塾を開いていたこの師匠が、きわめて多数の子弟を教育したことがわかる(『長野市の筆塚』第一集)。

 長門町天神社の石灯籠(どうろう)は文化(ぶんか)四年(一八〇七)、善光寺町および周辺の寺子屋の門弟たちが奉納したもので、一八人の師匠の名が記されており、その師匠や門弟が力を合わせて学問の神に灯籠を寄進していることが注目される。

 寺子屋の手本は師匠が書いて与えることが多く、内容は数字・いろはなどから始めて、すぐに役立つ文字や用語が並べられていることが多かった。大門町の中村ふさは某師匠に万延(まんえん)元年(一八六〇)九月に入門、手本を与えられ、約一年半でそれを終了した。そのなかには、善光寺の町々とその特色を記した興味深い個所がある(第五節第二項中「町々の特色」)。