疎開工場

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工業も軍需景気により盛んになり、工業では見るべきものの少なかった長野にも、ようやく工場が増えてきた。

 昭和十七年、南石堂町にあった町工場を富士通が買収、電話交換機用ランプの製造を始めた。同十九年に同系の富士電機が譲り受け、富士電機長野分室となった。この工場は戦後、長野家庭電器再生所として再出発し、家庭用電球の再生などを開始した。新光電気と改名、昭和三十二年に栗田工場を、同三十八年に更北工場を設け、従業員約四〇〇〇人の大会社に成長した。

 昭和十七年日本無線長野工場が鶴賀に設けられ、昭和二十四年長野無線となった。戦後、長野市の工業生産の一位を電気機器が占めるようになった基礎は、このように戦時中に始まった。