商業中心地の移動

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戦後、商業は非常に盛んになった。旧市の商店数は、昭和三年(一九二八)には一一六六だったが、平成五年(一九九三)には二五三〇と約二倍になっている。しかし、古牧・芹田地区は六二から約二十倍になっているから、中心部の増加はそれほどでもない。

 大正十四年(一九二五)当時、各町の最高地価は大門町・後町(ごちょう)・元善(もとよし)町・横町・岩石(がんせき)町の順だった。戦後は市内でいちばん地価の高いところは、昭和通り交差点付近(銀座)、石堂町、駅前とだんだん南へ移って来た。平成八年には、長野駅前(南千歳町)・石堂・権堂・岡田・後町などの順になっている。

 明治二十七年(一九五二)、権堂秋葉神社が道路(千歳町通り)にかかることになり、境内地四〇〇坪を売って現在地(腰巻)に千余坪の社地を買い、移転した。つまり、中央通りに近い方が地価が高かった。現在はイトーヨーカ堂のある腰巻の方が、中央通り後町町並みより五割ほど高い。

 現在市街地の商店街は長野駅周辺・銀座地区(ダイエー・長野そごう中心)・権堂・大門の四地区に分けられ、長野駅前がながの東急・MIDORIを核店舗とし、若者向きの店がたくさん集まって活気を呈している。権堂はかつて市の中心だったことがあるが、地盤沈下の傾向があり、昭和五十三年、イトーヨーカ堂を招致し、また、同三十六年に設けたアーケードを平成七年に全面改装し、盛り返しをはかっている。しかし、権堂地区の特色は近世以来の夜の町で、現在も権堂を中心に、周辺を含めてバー・居酒屋等が約一〇〇〇軒あり、県下第一の歓楽街になっている。

 中央通りは北石堂の長崎屋の郊外移転が決まり、ダイエーも移転計画があるなど、地盤沈下がつづいているが、中央通りの改修が平成八年に完成、歩道を広くし、町並みを整備し、復活をはかっている。大門町にはミニ博物館が多く設けられている。


図11 市街地の拡大 数字と矢印は、官庁や企業の南下を示す。①県庁、②市役所、③八十二銀行本店、④長野信用金庫本店。なお、道路は現状による