交通

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高速道路は平成四年(一九九二)三月に塩尻-須坂長野東インター間が開通、同七年十一月には小諸-更埴ジャンクション間が開通。東京郊外まで、渋滞がなければ二時間半で行けるようになった(距離も国道二三八キロメートルに対し、高速道二〇二キロメートルで、大幅に近くなっている)。長野東インター-中野間も平成八年開通、九年には新潟県妙高まで開通する。新幹線も平成九年十月一日開通、長野-東京間は一時間半で結ばれた。


表17 長野から各都市への距離

 昭和四十八年(一九七三)の開帳の年以来、開帳のある年は年間八〇〇万人を超す善光寺参詣者がある(平成三年は約一〇五五万人)。これらの多数の訪問者を受け入れるにも、また、激増している自動車の通行にも、道路が非常に狭い。そこで長野市は交通セル方式を計画している。環状道路により市内を四つのセルに分け、自動車は主に環状道路を通り、セル内の自動車通行はできるだけ少なくしようとするものである。長野大通りは昭和四十二年に計画決定、長野電鉄の市街地部分を地下鉄にして昭和五十八年に開通した。中御所から県庁までと、昭和通りは国道一九号として整備された(昭和二十一年に中央通りから緑町まで、三十五年に早苗町入り囗まで拡幅)。県庁・合同庁舎・信州大学教育学部前を通り、大門町を横切る県庁大門町線(教育学部以東は国道四〇六号)は、国道一九号につづく部分は、昭和四十四年にでき、教育学部前から長野大通りまでは、平成九年にできた。ターミナル南通りも平成九年に全通して、環状道路が完成した。中央通りは歩道のアーケードを取り、電柱をなくし、歩道を広げ、すっきりした姿に改修、平成八年に完成した。


図12 長野市内環状道路


写真70 長野大通りに沿う大型店


写真71 明治後期の相生橋付近


写真72 現在の相生橋付近 ビルが林立している