長野市への編入合併

186 ~ 186

大正四年(一九一五)長野市長は、三輪・芹田両村を合併したいと県に意見書を提出したが、両村長ともそれに対し異議を唱え、また郡長も反対したため、知事は、時期尚早としてこれを採用しなかった。そののち機運が熟し、大正十二年七月一日、芹田村は吉田町・三輪村・古牧村とともに長野市に編入合併した。この合併は、長野市がいちじるしく発展し区域が狭くなり、近隣町村との合併をするよりほかに方法がなかったなどの理由であった。