四 戸口の移り変わり

187 ~ 188

 長野市近郊農村であった芹田地区は、明治二十一年(一八八八)の長野駅設置をきっかけに関係者が住むようになり人口が増えはじめた。年を追うごとに増加し、大正十二年(一九二三)長野市に合併してからさらに増加が促進され、昭和初頭には、戸数二〇〇〇をこし人口も一万人に達した。その後も増加をつづけ、わが国経済の高度成長期だった昭和三十年代後半には、商工業・建設業・製造業・官庁などの進出とあいまって、道路整備や住宅などの建設が進み、戸数五〇〇〇、人口二万人となった。現在も、戸口の増加(平成七年人口初めて減少)や各種産業の発展ぶりは、市全体でも上位である(表1)。


表1 芹田の戸数と人口の推移