三 姫塚

191 ~ 192

 信州大学工学部の敷地の北西隅に隣接して小高い円墳がある。いわゆる善光寺七塚(姫塚・兄弟塚・柏崎塚・虎が塚・苅萱塚・時丸塚・行人塚)の一つで、熊谷直実(くまがいなおざね)の娘玉鶴姫の墓と伝えられる。この塚はもと前方後円墳だったともいわれる。

 けやきの大木のもとに五輪塔と笠塔婆の碑がある。五輪塔には「仏覚院殿一乗妙蓮大禅定尼 延宝(えんぽう)九年九月五日」と刻まれ、かたわらの元禄十五年(一七〇二)建立の碑文には、玉鶴姫の略伝が記されている。熊谷直実は、一の谷の戦いで、平敦盛(たいらのあつもり)を討ってから世の無常を感じ、法然の弟子となり、蓮生と号し善光寺に参籠(さんろう)修行した。文治(ぶんじ)四年(一一八八)の夏、玉鶴姫は、侍女とともに熊谷からはるばる善光寺をめざし、綱島の渡しを渡ったが、病のためにその年の七月五日市村で亡くなった。『仏導寺縁起』では、そのときのようすをつぎのように伝えている。「ある朝、直実は南東に紫雲のたなびくのをみて、市村を訪れ、そこで息たえだえの妙蓮にあい、それがわが子(出家した玉鶴姫)であることを知った。しかし、名乗りもしないで娘と死別した。直実はここに姫を葬り、墓のかたわらにけやきと槻の木を植え姫塚とした。また、塚の東方四〇〇メートルほどの地に、姫の菩提(ぼだい)を弔うために一寺を建てて、熊谷山仏導寺と名づけた」。


写真3 玉鶴姫の墓 右方のけやきは昭和26年雪のために折れた。折れた木の手前に玉鶴姫の墓がある
(右の写真は仏導寺提供)