昭和五十年代に「郷土を知る会」と「信学会」などがおこなった石造物調査によって、芹田地区には一三〇基ほどの各種石造物の存在が確認された。そのうち多いのは、筆塚(二三)・庚申塔(こうしんとう)(一六)・地蔵菩薩(ぼさつ)(一一)・道祖神(一〇)・灯籠(とうろう)(一〇)などである。
筆塚はおもに社寺の境内にある。なかでも天明(てんめい)四年(一七八四)の造立が一番古く、幕末から明治におよんでいる。読・書・画・謡などの師匠の筆塚で、身分は住職や農業出身者が多い。
庚申塔はいたるところで目につくが、長野市内に所在する庚申塔で一番古いのは、慶安(けいあん)三年(一六五〇)といわれる。芹田の三基(中千田二・中御所一)は明暦(めいれき)三年(一六五七)と古く、しかも入母屋(いりもや)型である点、長野市および北信地方の特徴をあらわしている。馬頭観音は、旧北国街道の路傍や七瀬中町に所在する。その他の地区にないのは、飼育頭数が多くなかったためだろう。荒木の街道沿いには、馬頭観世音(通称赤地蔵、寛延(かんえん)二年(一七四九))がまつられている。今も人びとに親しまれている地蔵菩薩は、ほとんどが寺地内にある。蓮心寺境内の延命地蔵立像は延宝(えんぽう)八年(一六八〇)造立である。瑠璃光寺境内にある阿弥陀如来(あみだにょらい)座像は、宝永(ほうえい)三年(一七〇六)造立で、長沼・安茂里のものについで古い。
北市には、市村佐馬之助の墓といわれる五輪塔があるが、その後の移転とか後補により判然としない。