南俣村

206 ~ 207

南俣の村名は、かつて裾花川の水流が、現南俣神社付近で分流していたことに起因し、その転化したものといわれる。南俣村は、江戸時代をとおして松代領に属していた。松代藩は、地方知行制を幕末まで実施した全国でも数少ない藩の一つである。南俣村には四人の知行取(地頭)がいた(表2)。天保八年の知行合計高は一九六石で、村高三一四石余の約六二パーセントを占めている。文化六年人口二五二人、安政三年の家数六〇軒である。


表2 芹田地区寛文元年(1661)藩士知行高