養蚕業

210 ~ 211

芹田村明治三十九年の桑畑の反別は一一二二反、一一一一戸のうち、農業従事者は全体の八〇パーセントで、そのうちの半数の家庭が蚕を飼った。春蚕(はるご)の飼養戸数五五〇、蚕種掃立枚数一六五〇、繭一〇三七石、玉繭一六五石、出殻繭一五石、くず繭八三石、計一三〇〇石であった。夏蚕は飼わない。秋蚕の繭生産は二七〇石と春蚕の二〇パーセントほどであった。

 ちなみに長野県の蚕糸業は昭和元年(一九二六)に全国第一位の盛況であった。生糸総産額の二二五万八〇〇〇貫余は、全国産額の約二五パーセントにあたり、まさに県内のもっとも重要な産業であった。