商工業

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大正十二年(一九二三)の芹田村の世帯数は一七二六戸で、その内訳は農業五七二、水産業一、鉱業一、工業三一四、商業二一一、交通業三〇二、公務自由業一三五、その他の有業者一一〇、家事使用人一、無職業七九であり第二次・三次産業へと移行している(「職業別大分類世帯」大正十二年十一月現在)。

 芹田地区は鉄道に関係する人々が住むようになった。七瀬町も商店街が次第に発展した。昭和十二年食料関係のものが多かったが、薪炭・電気・金物・自転車など三五軒の商店が営業していた。荒木町は旧北国街道沿線に商店が多く食料品店を中心に、印刷・履物・銅鉄加工など一三軒があった。中御所は、ガラス・麩(ふ)製造・建具・茶商・酒卸などの二三軒が営業していた。栗田は、建具・米穀・酒缶詰・青果の四軒。南俣(みなみまた)は、家具・建具製造の二軒。千田は、米穀・金融貸し付け・しょうゆ製造の三軒。川合新田は米穀商二軒。芹田には昭和十二年八二戸の商工業者がいた。同十三年には若里で鐘ヶ淵紡績株式会社長野工場が開業した。


写真10 とりこわし前の旧鐘紡長野工場(平成8年撮影)