団地等の造成と道路整備

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長野市は昭和二十四年ごろまで大変な住宅難が続いた。同二十五年公営住宅は、国の援助を得るようになり、市および県は公営住宅のほか、分譲住宅建設を強化した。

 芹田地区では、同二十四年若里に二〇戸の公共住宅、中御所に市営住宅二七戸、同二十五年中御所引揚者住宅一〇戸が建設された。同二十九、三十年度に若里南市に公営住宅三〇戸、同三十二年には北市に一〇戸、栗田に八戸の公営住宅が建設された。同三十六年ころには住宅事情はますます差しせまった問題となった。市は毎年九〇戸の公営住宅と分譲住宅をつくったが、人口増加などとともに市営住宅の当選率は二二人に一人の割合であった。芹田地区は現在、公営住宅や民間貸家住宅、個人住宅が複雑に混在している。市の第二次総合計画によって、南市・日詰団地などの建てかえ(一八〇〇戸)がおこなわれている。

 芹田地区は戦前から一級国道の一八号(現長野大橋)・一一七号(丹波島橋)、主要国道三四号(長野菅平線)・三五号(長野真田線)が走り、それに連なる県道および市道などが縦横に通っている。近年、オリンピック関連道路などとして、新設・拡幅工事がおこなわれ整備が一段と進んだ。


写真15 国道18号長野大橋北より北方を望む