長野市への編入合併

230 ~ 230

その後大正十二年(一九二三)七月一日、古牧村は、長野市近辺の吉田町・三輪村・芹田(せりた)村とともに長野市に編入合併した。そのいきさつは、つぎのとおりである。同十一年六月十七日関係市町村会(吉田町・三輪村・芹田村)および郡参事会に対し、合併案を諮問(しもん)したところ、いずれも賛成した。ところが、同年八月十七日除外されていた古牧村の住民代表から、古牧村も合併に加えてもらいたいと陳情がなされ、関係市町村も古牧村の加入を熱望した。知事は、翌大正十二年六月十六日改めて関係市町村に諮(はか)り、異議ないとの答申を得たので、県参事会の議決を経て内務大臣に申請、同年六月二十六日これが許可され、翌二十七日付長野県告示第三四二号「町村制第三条及市制第四条ニヨリ、大正十二年七月一日ヨリ上水内郡芹田村、古牧村、三輪村及吉田町ヲ廃シ、其ノ地域全部ヲ長野市ニ編入シ、長野市ノ境界ヲ変更シ、併セテ右各町村財産(一切ノ権利義務)ハ之(これ)ヲ長野市ニ帰属セシム」によって、長野市へ編入合併が実現した。こうして、七月一日から大長野市が発足し、人口は五万七七〇二人となった。ちなみに、合併時の古牧村の戸数は七三一、人口四二四七、反別五一六町八反六畝二五歩、地価二五万七三六七円六一銭であった。