四 戸口の移り変わり

231 ~ 232

 古牧(こまき)地区の戸口は、明治から昭和十年(一九三五)ころまでは緩(ゆる)やかな増え方であった。当時は長野市近郊の農村として大きな変化がみられなかった(表1)。その後、太平洋戦争のあとから増加が始まった。同二十六年には、五分一(ごぶいち)・中村間に市営住宅ができた。これが古牧地区の団地の初めである。そのあと、同三十四年ころから古牧地区の市街化かすすんだ。平成二年度(一九九〇)の戸数は、明治二十二年の約十倍余りで、これは、吉田地区につぐ、長野市内第二位の増加率であり、人口は約五倍で、古里とわずかな差で市内第三位の増加率となっている。現在は長野市街地につづく住宅・商業用地などとして発展している。平成四年には、古牧小学校のマンモス校解消のため、南高田に緑ヶ丘小学校が開校された。


表1 古牧の戸数と人口の推移