一 南向塚

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 長野県下には、平成九年(一九九七)現在三五三一基の古墳がみとめられる。そのうち長野盆地(善光寺平)には、一一三五の古墳があるが、その多くは山頂や尾根、山麓(さんろく)に造られたなかで、上高田の南向塚(なんこうづか)は、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)として、ただ一つ平地に造られた点で特異な存在である。

 南向塚古墳は、全長四七・五メートル、後円部径は三二・五メートル、高さ五・一五メートル、前方部幅約五メートルで高さは一メートルである。前方部の形態は、柄鏡(えかがみ)式の前方後円墳に近く、古い型式をとどめているといわれる。古墳の内部構造は不明で、年代の比定はむずかしい。しかし、後円部の規模から内部構造を横穴式石室と推定すると、南向塚は、前方後円墳築造の最末の六世紀前半と思われる。墓主についてもこの地方の土地開拓者である、と思われる以外いまのところまったくわからない。いずれにしても、深い謎を秘めている。

 明治末年ごろ南向塚後円部北東部の中ほどから勾玉(まがたま)(薄ねずみ色に赤褐色の筋条のある瑪瑙(めのう))が見つかった。また、昭和五十四年(一九七九)に、宝暦(ほうれき)九年(一七五九)の南向塚古墳の絵図が上高田一三三七の農家で発見された。その絵図をみれば当時のようすがわかる。南向塚は現在長野市の指定文化財である。後円部上にある一間四方の観音堂には享保(きょうほう)四年(一七一九)の銘(めい)のある石造三面観音と明治時代安置の木造観音像がある。塚上には桜、梨などの木が植えられている。