『和名抄(わみょうしょう)』によると、信濃全体の郷数は六二(または六七)で、そのうち北信には二九郷があった。しかし、これらの郷が現在のどこの辺かわかっているものもあれば、不明のものもある。古代古牧地区は、善光寺を中心とする芋井(いもい)郷と尾張(おわり)郷と芹田(せりた)郷に属していた。尾張郷は、今の尾張部を中心とする地域で、この付近は尾張国の古代豪族尾張氏の部曲(かきべ)(私有民)がいたところと考えられ、西尾張部・北尾張部は、この尾張部郷名が残ったものともいわれる。『和名抄』の流布本では「オハリベ」とあり、尾張神社には、尾張霊神と尾張姓霊神の古碑がのこる。
いっぽう、「芹田郷」「せんだ」も『和名抄』にあり、その本郷が現在の上千田・中千田と推定され、古牧地区をも含む犀川北岸一帯が郷域と考えられている。