平林本城跡

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西和田・平林 現在JRの敷地で遺跡を見ることはできない。敷地外南側でわずかに堀あとのようすをうかがい知ることができる。明治初めの調べでは、東西一一九メートル、南北一〇一メートルで、東に主郭、西に二の郭跡があり、その間に幅三六メートルの内堀(空堀)があった。四方外堀の深さは東九メートル、西南五・四メートル、北七・二メートル、幅は一八メートルばかりで、北東の隅に飯縄(いいづな)社があった。その飯縄社は昭和二十三年(一九四八)に安達(あだち)神社境内へ移され現在にいたっている。城主は、永禄年中(一五五八~七〇)武田の将であった、原美濃守であったと考えられている。また、近くの宝樹院には、城主の奥方の位牌(いはい)が安置されている。この城は武田氏の滅亡により廃城となった。


写真1 平林本城跡にあった飯縄社