古牧地区には各種あわせて一九〇基ほどの石造物が、寺社・公会堂・辻・個人宅などに散在している。
長野市内に存在する庚申塔(こうしんとう)のなかでもっとも古い造立は、慶安(けいあん)三年(一六五〇)である(吉田3・長沼3・古里2)。古牧には同三年造立の庚申塔一基がある。なお、宝塔・入母屋型の庚申塔および寛文(かんぶん)年間(一六六一~七三)以前の石祠(いしほこら)型庚申塔が、北信地方に約五〇基(市内一一基)が確認されたのは、全国的にも珍しいといわれる。古牧でも、かつて庚申信仰が盛んにおこなわれていたことがうかがわれる。
市内で地蔵菩薩が盛んに造られたのは、正徳(しょうとく)二年(一七一二)~元文(げんぶん)元年(一七三六)で、古牧の地蔵造立のはじめも盛行期(せいこうき)の享保(きょうほう)四年(一七一九)であり、八基の地蔵菩薩がある。坊さんの姿で、苦しみ迷う衆生(しゅじょう)を救ってくれる菩薩として、石造中もっとも身近かに親しまれているのは地蔵菩薩である。北条の地蔵庵では今も毎年地蔵盆の行事がおこなわれている。また、西和田地蔵堂の延命地蔵尊は別名「雨乞い地蔵」「鼻取り地蔵」と呼ばれ、永い年月村人に親しまれ、その説話が語りつがれている。なお、東和田には十王堂がある。
ほかに、幕末から昭和年代までに造立された筆塚・頌徳(しょうとく)碑・文学碑は、三六基を数える。宝樹院境内には、堀内源右衛門(蘭喬(らんきょう))「鐘の声花に障らで明けにけり」の自然石の筆塚がある。文学碑は同好者によってたてられた。①押さじとも明くべき花の戸口哉(何丸(なにまる)句碑・和田神社境内) ②世を旅に代かく小田のゆきもどり(芭蕉句碑・和田神社境内) ③春も屋や気色ととのふ月と梅(芭蕉句碑・五分一(ごぶいち)公会堂庭)の三碑がある。