一 神社

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 守田廼神社 高田 ①祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)、相殿(あいどの) 建御名方命(たけみなかたのみこと)・保食命(うけもちのみこと) ②由緒 むかし八幡社と称して旧高田村の産土神(うぶすながみ)であった。建久(けんきゅう)年間(一一九〇~九九)に、源頼朝が善光寺へ参詣のとき、使者を遣わし神饌(しんせん)(神に供える酒食)を供したと伝えている。宝暦(ほうれき)六年(一七五六)守田神社と改称した。のち、文政(ぶんせい)二年(一八一九)水内(みのち)郡長沼村の守田神社と社号争いとなり、天保(てんぽう)十年(一八三九)守田廼(もりたの)神社と改めた。本殿は覆屋(おおいや)におおわれた三間社流造り、朱塗板葺(ぶ)き、純和様建築で江戸時代初期の作である。ご神体は木造八幡神像である。本殿はもと善光寺の年神堂(としがみどう)で、明治十二年(一八七九)に現在地に移した。本殿は現在長野市の指定文化財である。

 長池神社 南長池 ①祭神 建御名方命 ②由緒 旧古牧村を開拓のさい、古宮地籍に勧請(かんじょう)した石像をご神体とし、以来産土神である。文保(ぶんぽう)年間(一三七~一九)宗良(むねよし)親王が信濃に在留中の祈願所であったといわれる。弘治(こうじ)二年(一五五六)武田の重臣小山田備中守が神饌を供えた。貞享(じょうきょう)元年(一六八四)現在地に移った。天文(てんぶん)二年(一五三三)裾花(すそばな)川洪水のさい、二木が漂流して当地に止まり、一木は建御名方命、一木は事代主命(ことしろぬしのみこと)なりとして当社に納め合祀(ごうし)した。文政(ぶんせい)十年現社号となった。現社殿は、昭和七年(一九三二)五月二日夜の焼失後の建築である。


写真3 長池神社

 芋井神社 上高田 ①祭神 南方止売命(みなかたとめのみこと) ②由緒 昔から旧古牧村のうち旧南高田村の産土神であった。伝承によると、はじめは南向塚の頂上と若宮の二ヵ所にあったが、天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)戦火により焼失したため、一社に合祀された。寛文(かんぶん)年間(一六六一~七三)真田家より社領一石と六連銭(ろくれんせん)の幕を寄進された。弘化(こうか)四年(一八四七)村中が相談して同年三月の震災の記録と藩主への感謝のため奉納した額がある。同年四月十六日から七日間この地で松代藩の焚き出しがおこなわれた。明治十三年諏訪社を現社号に改称した。境内前方は旧裾花河川敷跡である。

 伊勢社 高田 ①祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) ②由緒 昔は南高田村(南高田が上下高田に別れたのは正保(しょうほう)元年(一六四四)といわれる)の芋井神社が産土神として崇敬されていたが、両村の間が離れ過ぎており、祭にも差しさわりがあったので、当時名主持ちの神明社を村持ちにして下高田村の産土神とした。かつて境内にこんもり茂っていた杉木立ちは、戦後台風のために倒され昔の面影がうすれている。

 八幡神社 西尾張部 ①祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)・息長足姫命(おきながたらひめのみこと)・大雀命(おおささぎのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・健甕槌命(たけみかづちのみこと)・若姫命(わかひめのみこと) ②由緒 創建は天長(てんちょう)三年(八二六)といわれ、西尾張部の村西にあり、八幡(はちまん)神社と称し、西尾張部の産土神として尊崇された。永禄(えいろく)年間(一五五八~七〇)戦火で焼失したが再建された。また、若宮八幡社(西尾張部の産土神)と春日社はともに、当地城主の鎮守社であった。明治四十一年(一九〇八)に村西の田地一反歩(九九二平方メートル)余を境内地とし、右の三社を合祀し、同四十二年八幡神社と改称した。

 和世田神社 東和田 ①祭神 建御名方命・和世田神・保食神 ②由緒 昔、和世田社と称して、和世田神と建御名方命の二柱をまつり、産土神として崇敬されていた。本社は現位置から約三〇〇メートル北西にあったもので、旧所在地の字名を諏訪の宮と呼んでいる。貞観(じょうがん)年中(八五九~七七)、和世田神に従五位上が授けられた。天正(てんしょう)八年(一五八〇)武田信玄が、当社諏訪明神に神領を寄進し、その後諏訪社と称した。『神職考』に「本朝国史官社総計三八〇社、信濃の国本社和世田神云々」とある。和世田(わせだ)神社と称したいと吉田家に願い、弘化(こうか)三年現社号に改称した。

 和田神社 西和田 ①祭神 建御名方命 ②由緒 昔から諏訪社と称し、西和田の産土神として崇敬されていた。慶応(けいおう)二年(一八六六)和田神社と称した。神社の東隣りには延命地蔵尊を祭る地蔵庵がある。

 安達(あだち)神社 平林 ①祭神 五十猛(いそたけ)命・建御名方命・誉田別命 ②由緒 誉田別命は天文年間、城主原美濃守の崇敬があつかったので合祀したといわれる。ご神体は、八幡大菩薩・諏訪大明神・富士大神とかいた掛け軸で、宝暦(ほうれき)六年(一七五六)吉田家より下されたもの。昔から北平林村の産土神で諏訪社と称していたが、文政十三年(一八三〇)現社号に改称。拝殿は弘化(こうか)四年の地震でつぶれ、嘉永(かえい)元年(一八四八)に再建された。境内東には、各屋敷神が集められ二二の祠(ほこら)が祭られている。


写真4 安達神社境内の屋敷神

 天神社 高田 ①祭神 天満天神(てんまんてんじん)(菅原道真) ②由緒 天神社古事歴(口碑)によると、天文六年川端の前の裾花川中に、菅公と渡会(わたらい)(外宮神官)の木像があり、本村東端の仮宮に二像を安置したのが初めといわれる。川中島合戦時に渡会の像を失った。永禄(えいろく)年間に社殿を改築して、天満天神社と称し菅公の木像を祭り、天保十年ごろにはほぼ現在のようになったという。本殿には菅公の木像が祭られている。


写真5 天神社