小豆(あずき)焼き占いは古くから平林に伝わったもので、昭和三十五年(一九六〇)ごろまでおこなわれていた。当時の若者連(青年会)が、どんど焼きの火を若衆頭の家にもちかえり、これを火種として焼いた鉄板の上に小豆をのせ、その小豆の動く状態で、新しい年の農産物などの吉凶を占うものであった。現在、長野市内でこのような小豆占いがおこなわれているのは、保科高岡地区と芋井桜坂高木地区である。
小豆焼き占い
小豆(あずき)焼き占いは古くから平林に伝わったもので、昭和三十五年(一九六〇)ごろまでおこなわれていた。当時の若者連(青年会)が、どんど焼きの火を若衆頭の家にもちかえり、これを火種として焼いた鉄板の上に小豆をのせ、その小豆の動く状態で、新しい年の農産物などの吉凶を占うものであった。現在、長野市内でこのような小豆占いがおこなわれているのは、保科高岡地区と芋井桜坂高木地区である。