団地などの造成と道路整備

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昭和三十五年(一九六〇)、政府の「高度経済成長政策」以降、古牧でも大きな変化が始まり、宅地化・都市化が一段と進んだ。古牧地区の道路整備事業は、国道バイパスの開通をはじめ幹線道路の整備が進められた。市道東豊線および東部幹線は、同五十三年の「やまびこ国体」開催とあわせ整備が進められ、市道北長池中央線は、北長池・南長池地籍の敷地約一〇万平方メートルに設置された木工団地の産業道路として昭和三十八~九年国庫補助事業でつくられた。また、昭和五十九年から平成八年には長野須坂インター線の拡幅工事が四三億余円の国庫補助でおこなわれた。

 住宅団地は、昭和二十六年に五分一・中村間にできた市営住宅が最初で、そののち公営・個人による住宅団地などがスプロール現象として続々造成されるようになった。同四十六年長野市は、無秩序な開発を防ぎ、快適な都市環境づくりを計画的に進める都市計画法を施行し、「線引き」が定められた。それにより古牧地区の三分の二ほどが市街化区域となり、南高田・西尾張部・南長池に調整区域が残るだけとなった。

 平成二年(一九九〇)の住宅事情であるが、古牧地区の一般世帯数は七六九七、そのうち持ち家三六二二(四七パーセント)、借家住まい(五〇パーセント)、その他(三パーセント)となっている。持ち家と借家の割合はほぼ半々であり、借家住まいのうち民営の借家に住む者が全体の八三パーセントを占めている。