学校教育の進展

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昭和二十二年(一九四七)四月、学制改革による六三制の実施にともない、古牧小は長野市立古牧小学校と改名され、新たな出発をした。PTAも同年発足し、会の規約を民主的精神にそってつくり、文化部など六専門部を設けて事業を推進した。同二十四年から週一回のパン給食が始まり、現在は毎日実施されている。同二十五年に児童数一〇三七人、学級数二一となり、『七十年のあゆみ』を発刊した。そののち年々児童数が増加し、同五十五年には学級数三八、児童数一五二九人となり、市内第二の児童数の多い学校となった。さらに、同六十三年の百周年目には県下でも有数のマンモス校に発展した。平成四年にはマンモス校解消のため、南高田地籍に緑ヶ丘小学校(古牧・芹田・南部小の一部通学対象)が新設され、対象児童は緑ヶ丘小学校に通学するようになった。

 昭和二十二年新学制による川端中学校(高田川端 現桜ヶ岡中)が創設され、同二十四年には南部中学校(鶴賀五五〇、現南部小)、同三十年には三陽中学校(高田北窪)が新設された。同四十三年には川端中学校と南部中学校が統合され桜ヶ岡中学校となり、現在にいたっている。


写真14 長野市立桜ヶ岡中学校

 地区内の東和田には、長野日本大学高等学校、長野経済短期大学がある。