地方行政の区画分合

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近世の三輪地区は松代領であった。明治四年(一八七一)廃藩置県で松代県に属した。長野県は同五年戸籍区を改正し、新たに区を編成した。中越(なかごえ)村は第五三区、上松(うえまつ)村・三輪村・上宇木(うき)村・下宇木村・返目(そりめ)村・桐原村の各村は第五四区となった。


写真1 明治17年連合戸長役場となった円通寺

 明治七年、大・小区制の施行により、三輪地区の桐原村・返目村・中越村・太田村・押鐘村・上宇木村・下宇木村の各村は第二二大区の第六小区に、三輪村・上松村はそれぞれ同大区の第七小区に属することになった。上宇木村と下宇木村が合併して宇木村に、返目村と桐原村が合併し古野(ふるの)村に、中越村は太田村などとともに吉田村に入った。 明治十二年一月、大・小区制は廃止となり、水内(みのち)郡は上・下に分かれ、三輪地区は上水内郡に属し、郡役所が長野町に置かれた。同十七年連合戸長役場制が実施され、三輪村の円通寺に役場が置かれた。同役場が管轄する村は三輪村ほか九ヵ村、一二四七戸であった。