古代の善光寺平の開拓・開発にあたったのが三輪(みわ)氏であると伝えられている。三輪氏は大神(おおみわ)神社(奈良県)を祖神として祭る日本古代の名族であり、国内各地にその痕跡(こんせき)を残しているが、美和(みわ)神社はその一つである。
貞観(じょうがん)三年(八六一)、美和神社の相殿の祭神国業比売神(くになりひめのかみ)に五位下が贈られたこと、同八年三和・神部の両神に忿怒(ふんぬ)の相があるので国師講師に奉幣読経(ほうへいどきょう)をさせ、その怒りを鎮めさせたとあり、古くから美和神社の存在は全国に知られていた(『日本三代実録』)。一〇世紀に成立した『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)には、水内(みのち)郡九社の筆頭に列せられている。このように由緒ある美和神社が鎮座している村であるとの理由で「三輪村」と命名された。中世には「三和条」の地名が知られている。近世に入って三輪村が誕生してくるが、美和神社にちなんだ村名である。