四 戸口の移り変わり

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 近世の北国街道沿いに、商い店や問屋が軒をつらね、商店街を形成していった。文化(ぶんか)六年(一八〇九)三輪村の人口は一五九八人で近隣のなかでもっとも多かった。昭和三年(一九二八)長野電鉄の長野駅乗り入れで、交通は便利となり、市内への通勤が可能となった。昭和二十年代後半から、公営団地の造成や住宅分譲、事業所の新設・移転も増加の一途をたどった。同地区は平成七年(一九九五)には戸数七二七〇戸、人口一万八四〇八人となった。


表1 三輪の戸数・人口の推移 (『北信郷土叢書』巻1、大正11年『町村合併に関する書類』、『長野市統計書』による)