本村東沖遺跡

278 ~ 278

長野高等学校校舎改築にともない、平成三年(一九九一)十月から翌年二月にかけて調査された。遺構は住居跡一〇四、建物跡三、土壙七を検出している。住居跡は弥生時代後期のものが四一軒あり、その特色は四~六本の長方形の主柱配列をとり、円形の貯蔵穴を配置するという、きわめて画一的な構造であると同時に焼失住居が多いのも本遺跡の特徴である。不慮の火災によるのではなく、住居建て替えなどの何らかの住居廃絶にともなう、意図的な放火といった可能性が考えられる。古墳時代中期になって再び大規模な集落が形成された。遺物は滑石製子持勾玉(かっせきせいこもちまがたま)、土鈴(どれい)など祭祀的性格が強い。また、地附山古墳群築造の母体的村落と考えられている。


写真3 本村東沖遺跡の住居跡(長野高等学校)