五 三輪の石造文化財

283 ~ 284

 三輪地区内でもっとも古い石造物は、上松実性庵北の寛文(かんぶん)三年(一六六三)の銘のある馬頭(ばとう)観音像(石龕(せきがん))である。つぎは、宝永(ほうえい)二年(一七〇五)の銘のある庚申塔(こうしんとう)で返目(そりめ)公民館の東にある。施主はこの村の五郎兵衛以下四人がなっている。地区内の寺院の境内には地蔵菩薩像と六地蔵菩薩像がもっとも多く安置されている。昌禅寺境内に百体観音がある。文政(ぶんせい)三年(一八二〇)から良喜尼と祖明尼の二人が願主となり、村田唯七が大世話役で西国三三ヵ所、四国八八ヵ所、秩父三四ヵ所、坂東三三ヵ所の石仏を安置し同九年に完成させた。これらの石仏は本堂、衆寮らをとりまく旧墓地参道にあったが、善光寺地震で倒壊し、以後現在の墓地参道に集められた。西国分は浅河原地蔵堂の西側に安置されている。美和神社境内に百末社(石祠(いしほこら))が祭られている。


写真4 筆塚